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戴聖

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礼記-雑記下[125]

子貢しこうに於いて観る。
孔子曰く、
や楽しきか、と。
対へて曰く、
一国の人皆な狂ふがごとし、賜は未だ其の楽しきを知らざるなり、と。
子曰く、
百日の、一日のたくは、なんじの知る所に非ざるなり。
張りてゆるめざるは、も能はざるなり。
ゆるめて張らざるは、文武も為せざるなり。
一張一弛いっちょういっしは文武の道なり、と。

現代語訳・抄訳

子貢が蜡祭ささいを観た。
孔子が言った。
子貢よ、楽しんで居るか、と。
子貢は答えて言った。
一国の人々、皆が酒を飲んで興じ、まるで狂っているかのようです。
私には未だその楽しさが分かりません、と。
孔子が言った。
民には百日労苦してこの蜡祭ささいがあり、年の終わりに僅か一日の恩沢を受けるのだ。
そのありがたさはお前の知るところではない。
張るばかりで弛めることが無ければ、周の文王・武王なりとも民を安んじ治めることはできぬし、弛めるばかりで張ることが無ければ、周の文王・武王なりとも民を導き治めることはできない。
時に張り、時に弛めるは、文武の道なのである、と。

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備考・解説

「能」はならす、したしむ意がある。
親しめば民は安んずる。
「為」は模範的な行為に及ぼしまなぶ意がある。
これは教導に通ず。
張るばかりでは親しむを得ず、弛めるばかりでは感ずるを得ず。

語句解説

子貢(しこう)
子貢。春秋時代の衛の学者。端木賜、字は子貢。孔門十哲の一人。利殖に長け弁舌に優れる。孔子には「往を告げて来を知る者なり」と評された。
蜡(さ)
まつり。十二月に鬼神をもとめて祭る。また、ハエの蛆虫の意もある。
孔子(こうし)
孔子。春秋時代の思想家。儒教の始祖。諸国遊説するも容れられず多数の子弟を教化した。その言行録である論語は有名。
文王(ぶんおう)
文王。周の武王の父で西伯とも呼ばれる。仁政によって多くの諸侯が従い、天下の三分の二を治めたという。
武王(ぶおう)
武王。周王朝の始祖。太公望を擁して殷討伐を成し遂げた。
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