范曄
後漢書-列傳[鄧寇列傳][24]
章和二年、
公卿、訓を挙げて紆に
諸羌、
是れより先に小月氏の
時に迷吾の子迷唐、別に武威種の羌と兵万騎を合はせ、来たりて
訓、
議者、
訓曰く、
然らず。
今、
諸胡を
今、其の迫急に因りて徳を以て之を
遂に令して城及び居る所の園門を開き、悉く群胡の妻子を
羌、
是れに由りて
漢家、常に我が
唯だ使君の命ぜん
訓、遂に其の中の少年勇者数百人を
現代語訳・抄訳
章和二年、
これを朝廷は憂え、鄧訓を挙用して
だが、羌族の激憤は治まらなかった。
羌の各種族は仇を解いて婚姻を結び、互いに人質を交換して盟約し、その軍は合わせて四万余人、河に氷が張るのに会わせて挙兵し鄧訓を攻めた。
鄧訓は事前に小月氏の
胡の精兵は勇健富強、羌と戦えば常に寡兵を以て多勢を打ち破る活躍を見せた。
彼等は常に日和見で態度は一貫していなかったが、その力は侮れず、漢は必要な時に度々用いていた。
この時、迷吾の子である迷唐が他の武威種の羌族と連合して一万騎の兵力で来襲した。
迷唐はとりでへと至ったが漢を攻めず、先に胡を攻めんとしていた。
そこで鄧訓は兵を遣わして胡を警護し、羌が攻め込めぬように手配した。
これに対して周囲の者達が云った。
羌と胡が互いに戦い合うのは我々にとって利というべきものです。
夷を以て夷を制す、さすれば我等は何もせずして事を治めることができましょう。
胡への警護を速やかに撤退させるべきです、と。
すると鄧訓は云った。
そうではない。
今、漢は
漢はこの地に常時二万近くの駐屯兵を置き、その輸送のために国庫は圧迫され、この地の役人はまるで細い糸にすがるように危い状態にある。
胡が常にどっちつかずで定まらぬのは、彼等に対する漢の恩信が厚くないだけのことである。
今、胡は羌に脅かされて差し迫った状態にある。
これを期に我等は徳を以て彼等に対するのだ。
さすれば彼等も又た、徳を以て応えてくれるかもしれないではないか、と。
そして令を発して城門と園門を開き、胡の妻子を中に入れて厳戒態勢を布いてこれを守衛した。
羌はこれを攻めたが遂に何も得る所は無く、再び胡を攻めることなく退却した。
この出来事によって
漢は長年、我が同胞を力によって屈しようとしてきた。
だが今、鄧使君は我等に対して恩信を施し、門を開いて我が妻子を中に入れて警護してくれた。
我等は遂に父母を得たのだ、と。
そして歓喜
これよりは鄧使君の命ずるままに従がいましょう、と。
こうして鄧訓は胡の信頼を得、その中から年の若い勇者を数百人選出して育成し、義従胡と称する一団を編成した。
- 出典・参考・引用
- 長澤規矩他「和刻本正史後漢書」(一)p503
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語句解説
- 激忿(げきふん)
- 激怒すること。
- 盟詛(めいそ)
- 誓い。詛には「神にかけて誓う」の意がある。
- 胡(こ)
- えびす。主に北方族を指したが後に西方族にも用いるようになった。
- 塞内(さいない)
- とりでの内側。また、万里の長城の内側を指すこともある。
- 勝兵(しょうへい)
- すぐれた兵、精兵のこと。また、単に敵に勝った兵隊を指す場合もある。
- 首施両端(しゅしりょうたん)
- 首鼠両端。日和見の意。態度がどっちつかずであること。
- 塞下(さいか)
- とりでのあたり。辺塞の付近。
- 擁衛(ようえい)
- 守ること。擁護。
- 稽故(けいこ)
- 延滞すること。
- 禁護(きんご)
- 守ること。
- 経常(けいじょう)
- つね。一定して変わらないこと。
- 転運(てんうん)
- 輸送すること。
- 府帑(ふど)
- 国の府庫。「ふとう」とも読む。
- 糸髪(しはつ)
- ごく僅かなこと。ほんのわずかの物事のたとえ。
- 園門(えんもん)
- 庭の門。
- 湟中(こうちゅう)
- 羌族の地を指す。また、湟中城は月氏の居城で、その地を小湟中と呼ぶ。
- 叩頭(こうとう)
- 額が地面につけて敬礼する。頭が地につくほどに深くお辞儀をすること。叩首。
- 撫養(ぶよう)
- いつくしみ育てること。
- 義従(ぎじゅう)
- 選び抜かれた精鋭部隊のこと。後漢初期、鄧訓の羌遠征に従った小月氏の湟中胡の精鋭は「義従胡」と称された。
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