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范曄

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後漢書-列傳[荀韓鍾陳列傳][44-46]

しょく郷閭きょうりょに在り、心を平らかにし物をひきゆ。
其れ争訟そうしょう有りて、すなは判正を求めらる、曲直あきらかにさとし、退きて怨む者無し。
至りて乃ち歎じて曰く、
寧ろ刑罰の加ふる所と為るも、陳君のそしらるる所と為さず、と。
時に歳荒れ民けんなり、盗有りてる其の室に入る、梁上に止まれり。
寔、ひそかに見、乃ち起きて自ら整え払ひ、呼びて子孫に命じ、色を正し之に訓じて曰く、
夫れ人は自ら勉めざる可からず。
不善の人、未だ必ずしもと悪ならず、習ふを以て性成り、遂に此に於いて至る。
梁上の君子は是なり、と。
盗、大いに驚き、自ら地に投じ、稽顙けいそうして罪に帰す。
寔、おもむろに之をさとして曰く、
君が状貌じょうぼうを視るに、悪人にちかからず、宜しく深く己にちて善にかへるべし。
然れども此れ当に貧困に由る、と。
令して絹二匹を遣はしむ。
是れより一県に復た盜竊とうせつ無し。
大尉楊賜ようし、司徒陳耽ちんたん公卿こうけいを拝する毎に、群僚ことごとく賀す、賜等、常に寔の大位に未だ登らざるを歎じ、之に先んずるを愧ず。
党禁の始めて解かるるに及び、大将軍何進かしん、司徒袁隗えんかい、人を遣はし寔をすすめ、特に表すに不次ふじの位を以てす。
寔、乃ち使者に謝して曰く、
寔は久しく人事を絶つ、巾を飾りて終わりを待つのみ、と。
時に三公くる毎に、議者、之に帰し、かさねて徴命ちょうめいあらはす、遂に起たず、閉門し車をけ、棲遅せいちして老を養ふ。
中平ちゅうへい四年、年八十四、家にいて卒す。
何進、使を遣はし弔祭ちょうさいせしむ、海内かいだいの赴く者三万余人、衰麻さいまを制する者は百を以てかぞふ。
共に石をけずりて碑を立つ、おくりなを文範先生と為す。
六子有り、紀、諶は最も賢なり。

現代語訳・抄訳

陳寔ちんしょくは郷里に戻り、心平らかにして物などは意に介さぬ生活を送っていた。
郷里の人々は争い事が起こる度に判断を求め、陳寔は善悪邪正を明らかにして人々を諭したので、その裁決に心服せぬ者は居らなかった。
やがて人々は歎じて云った。
たとえ刑罰を加えられることがあったとしても、陳寔様に誹られることがあってはならない、と。
凶作となって人々の生活が困窮した。
ある夜、盗賊が陳寔の屋敷に忍び込み、梁上に潜んだ。
これに気付いた陳寔は起きると速やかに身を整え、子供達を呼び出して色を正して訓示した。
人は自ら勉めて身を修めねばならぬ。
世には不善を為す者が居る。
されど、彼等とて必ずしも最初から悪という訳ではない。
日々の積み重ねによりてその性が生じ、長ずるに及んで遂にそこに至ってしまっただけのことである。
梁上の君子がそれである、と。
これに盗賊は大いに驚き、自ら姿を現して額を地につけ、その罪を詫びた。
陳寔はおもむろに諭して云った。
君の容貌を視るに、心からの悪人というわけではないようだ。
今後は深く克己かっこに励み、本来の善なる心にかえりなさい。
そもそも、このような罪を犯したのも貧困のせいなのだ、と。
そうして絹二匹を与えた。
これより後、県内において窃盗が起こることは無かった。
大尉の楊賜ようしや司徒の陳耽ちんたんといった人々は度々高位に就いた。
周りの者達はこれを祝賀したが、楊賜等は陳寔が在野に居ることを歎じ、自分達が陳寔に先んじて高位に就くことを愧じた。
党錮の禁による官職追放が解かれると、大将軍の何進かしんや司徒の袁隗えんかいは、陳寔を登用せんと使者を遣わして破格の人事を以て示した。
陳寔は使者に謝して云った。
私は久しく世の中から遠ざかっております。
もう冠を着けることなく、頭巾をかぶって生活を愉しみ天寿を全うしたく存じます、と。
その後も三公の地位が空く度に、適任者として挙げられ召しだしの命令が下されたが、遂に陳寔が応じることはなく、閉門して車で塞ぎ、隠遁して静かに老を養った。
陳寔は中平ちゅうへい四年に年八十四にして家において卒した。
何進は使者を遣わして弔祭ちょうさいさせた。
その葬式には全国から三万を超える人々が参列し、喪に服する者は百人を数え、人々は石碑を建てて文範先生とおくりなした。
陳寔には六人の子が居り、その中でも陳紀と陳諶が最も優れていた。

出典・参考・引用
長澤規矩他「和刻本正史後漢書」(三)p1159
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語句解説

郷閭(きょうりょ)
村里のこと。郷里。閭は「村の門」を意味する。
判正(はんせい)
裁定すること。是非善悪を判断して正すこと。
曲直(きょくちょく)
正邪善悪。曲がったことと真っ直ぐなこと。
稽顙(けいそう)
額を地につけて礼をすること。
状貌(じょうぼう)
顔容、容貌。
盜竊(とうせつ)
窃盗の意。竊は窃の旧字。
公卿(こうけい)
三公、九卿のこと。高官の意。
党事(とうじ)
党錮の禁。宦官勢力に批判的な士大夫達が弾圧された事件のこと。166年と169年の2回発生。清流派と称して徒党を組んだ士大夫の一部が宦官等を批判し対立した。
不次(ふじ)
破格、異例。順序によらないこと。
徴命(ちょうめい)
朝廷からの召し出しの命令。
棲遅(せいち)
のんびり隠居すること。元は逢引の意だったとされる。また、おくれをとる、歳月などが移りゆく意にも用いられる。
弔祭(ちょうさい)
霊を弔い祭ること。
海内(かいだい)
国内、天下。古代中国では四方の海に世界が囲まれていると考えていたとされる。
衰麻(さいま)
喪服。
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