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後漢書-列傳[鄭范陳賈張列傳][52-54]

かい、字は公超、嚴氏春秋古文尚書に通ず、門徒は常に百人たり。
賓客之を慕ふ、父が党の夙儒しゅくじゅ自ずから、ともに門を造る。
車馬街にち、徒従とじゅうの止まる所無く、黄門及び貴戚の家、皆な舎を巷次こうじに起す、以て過客かきゃく往来の利をうかがふ。
楷、其の此の如きをにくみ、すなはしりぞきて之を避く。
家貧にして以て業を為す無く、常に驢車ろしゃに乗り県に至りて薬を売り、食を給するに足らば、すなはち郷里に還る。
司隸茂才もさいに挙ぐ、長陵の令に除せらる、官に至らず。
弘農の山中に隠居す、学者之に随ひ、居る所に市を成す、後に華陰山の南に遂に公超市有り。
五府連にへきされ、賢良方正に挙げらる、就かず。
漢安元年、順帝特に詔を下して河南尹に告げて曰く、
もとの長陵の令、張楷は行に原憲げんけんを慕ひ、みさおなぞらふ、貴を軽しとし賤を楽しみ、跡を幽藪ゆうそうかくし、高志確然にして、独り群俗を抜く。
前にしきりに徴命するも、盤桓ばんかんとして未だ至らず、将に主たる者の常に於いて翫習がんしゅうし、賢を優す、其れをして進めて難からしむるに足らざらんか。
郡時に禮を以て発せしめ遣はせよ、と。
楷、復た疾を告げて到らず。
性より道術を好み、能く五里霧をす。
時に関西の人裴優、亦た能く三里霧を為す、自ずから楷に如かざるを以て、之に従学せんとす、楷、避けてあへて見せず。
桓帝即位す、優、遂に霧をして賊を行ふ、事あらはれて考せられ、楷を引きて言ふ、術を従学すと。
楷、坐して廷尉ていい詔獄しょうごくに繋がる、二年を積む、つねに経籍を諷誦ふうしょうし、尚書の注を作す。
後に事の験無きを以て、ゆるせられ家に還る。
建和三年、詔が下され安車を備へ禮して之をへいす、辞するに篤疾とくしつを以て行かず。
年七十、家に於いて終はる。
子は陵。

現代語訳・抄訳

張楷ちょうかいは字を公超という。
厳氏春秋、古文尚書に通じ、その門徒は常に百人は居た。
賓客達は張楷を慕い、父の張覇の友人であった学識ある人々も自然と張楷の元に集った。
街には車馬が満ち溢れ、付き従う者達が途切れることはなく、宦官や外戚達は街中に屋敷を建てていつでも張楷に会えるようにした。
しばらくすると、張楷を訪問する人々の往来を狙い、利欲を貪る者が現われた。
張楷はこの様子を嫌って退き、これ等の人々を避けた。
張楷の家は貧しく、特に家業も無かった。
常に驢車に乗って県へと赴き、薬を売って日々の食を得て、それで満足して郷里へと帰った。
ある時、司隸が張楷を茂才に推薦し、長陵の県令に任命した。
だが、張楷が応じることはなく、やがて弘農の山中に隠居した。
張楷を慕う人々が付き従い、張楷の居る所、自然と人々が集まり市となり、後に華陰山の南には張楷の字をとって「公超市」というものが出来た。
五府の職にある者達が、しきりに張楷を賢良方正として推挙したが、それでも張楷が応じることはなかった。
漢安元年、順帝は特別に詔を発し、河南尹に告げて云った。
以前、長陵の県令を命じた張楷は、行には原憲げんけんを慕い、その節操を守ること伯夷・叔斉の如くである。
官爵などは意に介さず、賤にして道を楽しみ、その行跡は深く蔵して表に現すこともなく、高き志を確固と持し、その特立独行なる様は俗衆の及びつかぬものである。
以前にしきりに召さんとしたが、少しも心動かされずして未だに至らぬ。
されば、主たる者が日々に自らを修め、賢なる者を優遇し、そのようにして任官を進めるのでは足らぬであろうか。
郡を司る者に礼を以て張楷を挙用するように命ずるのだ、と。
だが、張楷は病気を理由に応じなかった。
張楷は道術にも造詣深く、よく五里霧を作り出すことができた。
この頃、関西の人に裴優という者が居た。
彼もまたよく三里霧を作り出すことができたが、自分が張楷の道術には及ばぬことを悟って、従学せんことを願った。
だが、張楷は裴優を避けて会うことはなかった。
桓帝が即位した。
ある時、裴優は霧を作り出して盗賊行為を行った。
事件が発覚し、裴優は捕らえられて尋問され「張楷に道術を教わった」と供述した。
張楷は連座し、廷尉ていいによって詔獄しょうごくに下された。
牢獄に入って二年が経った。
獄中の張楷は常に経籍を暗誦し、尚書の註釈を行っていた。
やがて事件に関わったという証拠が現われなかったので、許されて家に戻った。
建和三年に再び詔が下され、安車を備え礼を厚くして招聘された。
だが、張楷は重病なるを以て辞し、結局応じることはなかった。
やがて年七十にして家において没した。
張楷には陵という息子が居る。

出典・参考・引用
長澤規矩他「和刻本正史後漢書」(二)p788
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語句解説

厳氏春秋(がんししゅんじゅう)
春秋注釈書の一。公羊伝系の学派で厳彭祖によるとされる。
古文尚書(こぶんしょうしょ)
書経の異本。前漢の時代に孔子の家の壁中から発見され、秦以前の書体で書かれていた。当時の「今文尚書」にはない篇を含んでいたとされる。
夙儒(しゅくじゅ)
宿儒。深い学問のある年老いた学者のこと。
徒従(とじゅう)
従者。
黄門(こうもん)
宮城の門(宮中の小門は黄色であった)。また、黄門の役人に宦官を用いたことから「宦官」の意に用いることもある。
貴戚(きせき)
君主・諸侯の親戚、外戚の婦人たちのこと。
巷次(こうじ)
街中。
過客(かきゃく)
「かかく」とも読む。旅人、訪ねて来た人、訪問客。
司隸校尉(しれいこうい)
洛陽・長安周辺における治安を司る監察官。中央の官吏、大臣等の弾劾を行う。
茂才(もさい)
茂材。すぐれた人材。また、漢代に地方官が推薦した儒生のこと。もとは秀才といったが、後漢において光武帝劉秀の諱を避けて茂才と改められた。
五府(ごふ)
太傳、太尉、司徒、司空、大将軍のこと。
賢良方正(けんりょうほうせい)
賢良。漢代の官吏登用科目の一つ。才能・人格の優れた者を諸侯や郡太守が推薦し、国政に参与させた。
河南尹(かなんい)
首都近郊の治安(主に民衆)と経済、そのほか様々な責務を負う役職。
原憲(げんけん)
原憲。春秋時代の魯の人。孔子の門人。字は子思。原思とも呼ばれる。節を守り貧しくして道を楽しむとあり、清貧で知られた。「原憲の貧」の故事がある。
伯夷(はくい)
伯夷。周初の人で孤竹君の長子。父の意を察して弟の叔斉と王位を譲り合う。後に文王を慕って周に行き、周の武王の殷討伐を諫め、聞き入れられずしてその治世を善しとせずに餓死。叔斉と共に清廉な人物の代表とされる。なお、舜の時代に礼を司った伯夷とは別人。
叔斉(しゅくせい)
叔斉。周初の人で伯夷の弟。父の意もあって王位を譲られたが弟であることから受けず、長兄の伯夷と共に周に行き、武王の殷討伐を諫める。周の治世となるやその粟を食するを恥じて餓死。伯夷と共に清廉な人物の代表とされる。
幽藪(ゆうそう)
奥深い沢。藪には湿原の意がある。
確然(かくぜん)
確固として定まっている様。
群俗(ぐんぞく)
多くの人民、俗衆。周りの人々。
盤桓(ばんかん)
めぐる、ゆきなやむ。また、広大なる様。
翫習(がんしゅう)
馴れる。また、十分に習う。
廷尉(ていい)
秦・漢代の官名。裁判・刑罰を司る。
詔獄(しょうごく)
勅命を奉じて裁判すること。また、その牢獄。
諷誦(ふうしょう)
詩文などを暗誦すること。「ふうじゅ」「ふじゅ」とも読み、この場合は声を上げて経や偈を読むことをいう。
安車(あんしゃ)
老人や婦人、子供の座乗する車で一頭の馬にひかせ、低い屋根がある。なお、一般の車は四頭立てで立って乗る。
篤疾(とくしつ)
重病。
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