范曄
後漢書-列傳[黨錮列傳][20]
是の時、朝庭は日に乱れ、綱紀は
膺、独り風裁を持し、以て声名は自ずから高し。
士に其の
党事に遭ふに及びて、当に膺等を
案の三府を経るに、太尉陳蕃、之を
曰く、
今、考案する所、皆な海内の人誉、憂国忠公の臣なり。
此れ等は猶ほ将に十世
平署に
帝、
膺等、
膺、郷里に
現代語訳・抄訳
この頃になると朝廷は日に日に乱れ、綱紀などは存在しないに等しかった。
李膺は独り節操ありて品格に溢れていたので、その声名は自然と高く、士大夫で李膺に認められて近づきになる者が居れば、世の人々は登竜門と称してその前途有望なるを祝った。
党錮の禁が起こり、李膺等が罪に問われた。
罪状が三公府を経たとき、太尉であった陳蕃はこれを非として斥けた。
陳蕃は云った。
今、罪に問われている者達は、どれも天下の人品優れし者にして憂国の士、忠公の臣である。
これらの人々の徳たるや、将に「十世の子孫まで罪が許される」と古語にあるが如きものである。
ましてや罪名が明らかならざるをどうして罰する者があろうか、と。
これを聞いて桓帝はますます怒り、遂に李膺等を黄門の北寺の獄に下した。
獄に入った李膺等は盛んに宦官の子弟を引責したので、宦官はこれに懼れて帝に天の時を以て赦すべき旨を説き、やがて大赦が発令されて許された。
李膺は罷免されて郷里へと戻り、陽城の山中に住んだ。
天下の士大夫は李膺のあり方を高尚なりと讃え、朝廷に対しては
- 出典・参考・引用
- 長澤規矩他「和刻本正史後漢書」(三)p1219-1220
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語句解説
- 頽阤(たいち)
- どちらも「くずれる」という意。
- 容接(ようせつ)
- 近づきになること。
- 党事(とうじ)
- 党錮の禁。宦官勢力に批判的な士大夫達が弾圧された事件のこと。166年と169年の2回発生。清流派と称して徒党を組んだ士大夫の一部が宦官等を批判し対立した。
- 考実(こうじつ)
- 実否をしらべること。
- 三府(さんふ)
- 三公府。三公とは臣下の最高の三つの官職で周では「太師」「太傅」「太保」、前漢で「丞相(大司徒)」「太尉(大司馬)」「御史大夫(大司空)」、後漢で「太尉」「司徒」「司空」をいう。
- 平署(へいしょ)
- 連署。文書などで二人以上の人が責任を明らかにするために名前をならべて書くこと。
- 不肯(ふこう)
- 不承知、~ができない、許されないの意。「肯(かえ)にす」と訓読で読む場合もある。
- 大赦(たいしゃ)
- 恩赦の一つで、国家の慶事などに際して一定の範囲内の罪を取りやめたり軽くすること。
- 免帰(めんき)
- 釈放する。
- 高尚(こうしょう)
- 高潔な志を持つこと。気高い、志高く俗世間での出世などは求めないこと。
- 汚穢(おわい)
- 「おあい」とも読む。けがれの意。特に糞尿のことを指す場合もある。
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