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范曄

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後漢書-列傳[耿弇列傳][1-2]

耿弇こうえん、字は伯昭、扶風の茂陵の人なり。
其の先は武帝の時、吏二千石を以て鉅鹿よりうつさる。
父のきょう、字は侠游、明経を以て郎と為る、王莽おうもうの従弟の伋と共に老子を安丘先生に学び、後に朔調さくちょう連率れんそつと為る。
弇、わかくして学を好み、父の業を習ふ
かつて郡尉の騎士を試みて、旗鼓きこを建て、馳射ちしゃならふを見、是に由りて将師の事を好む。
王莽の敗するに及び、更始立ち、諸将の地を略する者、前後多く威権をほしいままにし、すなはち守、令を改易す。
況、自ら莽の置く所なるを以て、自安せざるをおもふ。
時に弇年二十一、乃ち況を辞し奏を奉じて更始に詣で、因りて貢献をととのへ、以て自固のむべを求む。
宋子に至るに及び、王郎、成帝の子たる子輿しよを詐称し、兵を邯鄲に起す、弇の従吏たる孫倉、衛包の道に於いて共に謀りて曰く、
劉子輿は成帝の正統なり、此れを捨てて帰せず、遠行していづくにかかん、と。
弇、按剣あんけんして曰く、
子輿は弊賊なり、卒に降虜と為らんのみ。
我れ長安に至り、国家の漁陽、上谷の兵馬の用を陳してあづかり、還りて太原、代郡を出でて、反覆すること数十日、帰して突騎を発して以て烏合の衆をりんす、枯れたるをくじき腐りたるを折るが如きのみ。
公等を観るに去就を識らず、族滅ぶに久しからざるなり、と。
倉、包従はず、遂ににげて王郎に降る。

現代語訳・抄訳

耿弇は字を伯昭といい、扶風の茂陵の人である。
その祖先が武帝の時代に二千石の俸給を得て鉅鹿から遷された。
父親の耿況は字を侠游といい、経典に通じていることを以て官僚となり、また、王莽の従弟である王伋と共に安丘先生に学び、後に上谷の太守となった。
耿弇は幼少より学問を好み、父親の業を習った。
上谷においては頻繁に騎士の試験が行われ、旗を立てて鼓を打ち鳴らし、騎射を演習する様子に感動した耿弇は、次第に軍事兵法の事に興味を持つようになっていった。
王莽の治世が終わって更始帝が立つと、諸将は勢力を広げようと各地を侵略して自由に権力を振うものが現われ、その為に太守や県令には改易される者が頻発した。
そのような状況に、耿況は自分が王莽によって任命された太守であることから内心不安であった。
この時、耿弇は二十一歳、父親の不安を解消しようと奏上書を奉じて長安の更始帝を詣で、献上品を整えて太守の座を確保しようと旅立った。
宋子に至った頃、王郎が成帝の子である子輿を名乗って邯鄲において挙兵した。
この情報に部下である孫倉と衛包が互いに相談して云った。
劉子輿といえば成帝の正統なる血脈であって、捨て置けない話である。
わざわざ長安などにいかず、すぐに馳せ参じようではないか、と。
すると耿弇は刀の柄に手をかけて云った。
この子輿と称する賊はすぐに敗れるであろうから、そんな者に随っても捕虜になるだけである。
我等は長安に至って国家の軍たる漁陽と上谷の兵馬の必要性を説き、その兵権を受け、還るに太原と代郡を往復すれば数十日で上谷に到着できる。
その後に突騎兵を率いれば、烏合の衆を蹴散らすことなど枯れたるを挫き腐りたるを折るが如きに容易いことである。
お前達は去就すべき所を識らぬようだが、それでは一族の命運もそう久しいことではないであろう、と。
だが、孫倉と衛包は忠告に従わず、王郎のもとへと逃亡した。

出典・参考・引用
長澤規矩他「和刻本正史後漢書」(二)p545-546
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語句解説

耿弇(こうえん)
耿弇。後漢創業の功臣。用兵に優れ向かうところ敵無し。斉平定を成し遂げ「志有らば事はついに成るものだ」と感嘆せしめた。
王莽(おうもう)
王莽。前漢の末に事実上の簒奪によって帝位を奪い、新を建国。儒教の理想を強引に政治に当てはめて混乱、民衆の反乱が続発し建国わずか15年で滅亡。
朔調(さくちょう)
王莽が上谷郡を改称した。
連率(れんそつ)
太守の意。王莽が改称した。王莽は封爵によって呼び名をかえており註釈に「王莽の法では郡を治める者は、公を牧とし、侯を卒正と称し、伯を連率と称し、封爵無きを尹と為す」とある。
業を習ふ(ぎょうをならふ)
業には事業、学業などあるが不明。活動と解して「父親の生活、生き方から習う」という意味かもしれない。
馳射(ちしゃ)
騎馬にて射ること。
按剣(あんけん)
刀の柄に手をかけてかまえること。
轔(りん)
「くるまのひびき、くるまのわ」の意だが、註釈に「轢なり」とあり「ふみにじる」の意としている。
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