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後漢書-列傳[銚期王霸祭遵列傳][7-8]

王覇、字は元伯、潁川えいせん潁陽えいようの人なり。
よよ文法ぶんぽうを好む、父は郡の決曹けっそうじょうと為り、覇は亦たわかくして獄吏と為る。
常に慷慨こうがいして吏の職を楽しまず、其の父、之を奇とす。
つかはして西の長安に学ばしむ。
漢の兵起こる、光武、潁陽を過ぎ、覇、賓客を率いて上謁し、曰く、
将軍義兵を興す、ひそかに自ら量を知らず、威徳をむさぼり慕ふ、願はくば行伍こうごてんことを、と。
光武曰く、
夢に賢士を想ふ、共に功業を成さん、豈に二つたもたんや、と。
遂に従ひて王尋おうじん、王邑を昆陽こんように於いて撃破し、還りて郷里に休す。
光武の司隸校尉に為り、道に潁陽を過ぐるに及び、覇、其の父に請ひ、従せんことを願ふ。
父曰く、
吾は老いたり、軍旅にたへず、汝は往きて、之を勉めよ、と。
覇、従ひて洛陽に至る。
光武の大司馬に為るに及び、覇を以て功曹こうそう令史れいしと為す、従ひて河北をわたる。
賓客の覇に従ふ者数十人、稍稍しょうしょうに引きて去る。
光武の覇に謂ひて曰く、
潁川の我に従ひし者の皆な逝く、而して子独り留まる。
努力せよ。
疾風に勁草を知る、と。

現代語訳・抄訳

王覇は字を元伯といい、潁川の潁陽の人である。
代々法律に親しんだ家系で、父親は裁判官の下役となり、王覇もまた若い頃に獄吏となった。
常に慷慨して獄吏の仕事を楽しまない王覇に、父親は大才ありと見ていた。
父親は王覇を西の長安にやって学ばせた。
漢の兵が起こった。
劉秀が潁陽を過ぎると、王覇は賓客を率いて劉秀に謁見して云った。
将軍は義兵を興しました。
私はひそかに思いを馳せて、身の程知らずにもその威徳を慕っております。
願わくば、我等を共に連れて行って頂きたい、と。
劉秀が云った。
憂国の賢士が得られぬものかと夢にまで想っていたところです。
共に功業を成し遂げようではありませんか。
どうして歓迎せぬということがありましょう、と。
遂に王覇は劉秀に従軍し、王尋と王邑を昆陽に於いて撃破した。
王覇は一旦帰郷して時を待った。
やがて劉秀が司隸校尉となって潁陽を通過すると、王覇は父に従軍したい旨を告げた。
父は云った。
私はすでに老いた、軍旅には堪えられぬであろう。
お前は往きて志を遂げよ、と。
王覇は劉秀に従って洛陽に至った。
劉秀が大司馬になると、王覇は功曹の令史となり、河北の攻略に従軍した。
王覇に従っていた賓客は数十人居たが、困難な河北攻略に客達は次第に離れていき、遂には王覇一人になった。
劉秀は王覇に云った。
潁川から私に従って来た者は皆去っていき、今ではお前一人となった。
善く努めよ。
困難の中にこそ、その人間の本質というものが輝くのだ、と。

出典・参考・引用
長澤規矩他「和刻本正史後漢書」(二)p560
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語句解説

文法(ぶんぽう)
規則や法律のこと。また、文章構成の法則の意に用いることもある。
決曹(けっそう)
裁判官のこと。
掾属(えんぞく)
属官。下級の役人。掾史。
慷慨(こうがい)
感情が高まって憤りなげくこと。志を得ずして嘆く意。意気盛んなこと。
劉秀(りゅうしゅう)
劉秀。後漢の始祖。光武帝。文武両道、民衆に親しまれ、その治世は古の三代にも匹敵したとされる。名君の代表として有名。
行伍(こうご)
隊伍。軍隊のこと。
司隸校尉(しれいこうい)
洛陽・長安周辺における治安を司る監察官。中央の官吏、大臣等の弾劾を行う。
司馬(しば)
中国の官名で軍事を掌る。
功曹(こうそう)
郡の属官で書史を司る。漢代の官名。
令史(れいし)
文書類の記録・庶務をつかさどる下級役人のこと。
稍稍(しょうしょう)
だんだん。少しずつ。やや。
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