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曾先之

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十八史略-東漢[世祖光武皇帝][宋弘]

賦罪ふざいゆるす所無し。
大司徒欧陽歙おうようきゅうかつて賦を犯す、きゅうが授けたる所の尚書しょうしょの弟子千余人、けつを守りて哀を求めんとす。
つひに免れず、獄に於いて死す。
用うる所の群臣、宋弘等が如き、皆な重厚正直なり。
上の姉、湖陽公主こようこうしゅ、嘗て寡居かきょす。
こころ、弘に在り。
弘入ってまみゆ。
主、屏後に座す。
上曰く、
諺に言ふ、富んでは交はりをへ、貴くしては妻を易ふと、人情か、と。
弘曰く、
貧賤の交わりは忘るべからず。糟糠の妻は堂より下さず、と。
上、主を顧みて曰く、
ととのはず、と。

現代語訳・抄訳

光武帝は賄賂罪に厳しく、それは過酷な程であった。
かつて大司徒の欧陽歙が賄賂罪を犯して獄に下された時、欧陽歙に書経を教授された弟子千人余りが宮殿の門に集まって釈放を哀願したが叶わず、遂に獄中で死んだ。
このよう厳正であったので、光武帝が用いる臣下の宋弘などは皆な人物が出来ていてどっしりと落ち着き、正直な者ばかりであった。
時に帝の姉の湖陽公主はやもめ暮らしをしていた。
彼女は内心、宋弘と再縁したいと思っていた。
ある日、宋弘が参内して帝に謁見し、湖陽公主は屏風の後ろに座していた。
帝が宋弘に問うた。
諺に富んでは友を変え、位が高くなれば妻を変えるというが、人情であろうか、と。
すると宋弘が答えて云った。
貧賤の交わりは忘れるべきではありません。
苦労を共にした妻は家から追い出してはなりません、と。
これを聞いた帝は屏風の方に顧みて云った。
どうにもなるまい、と。

出典・参考・引用
早稲田大学編輯部編「漢籍国字解全書」(第36-37巻)192/306
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語句解説

劉秀(りゅうしゅう)
劉秀。後漢の始祖。光武帝。文武両道、民衆に親しまれ、その治世は古の三代にも匹敵したとされる。名君の代表として有名。
賦罪(ふざい)
賄賂の罪。
大司徒(だいしと)
教育のことを司る。また、漢代に丞相と改称し、国政を司った。
尚書(しょうしょ)
書経のこと。中国最古の経典。
闕(けつ)
門観。宮殿の門。
寡居(かきょ)
一人身で暮らすこと。未亡人。
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