荘子
荘子-外篇[刻意][2.2]
故に曰く、
悲楽なる者は、徳の邪なり、喜怒なる者は、道の禍なり、好悪なる者は、徳の失なり。
故に心に憂楽あらざるは、徳の至りなり、一にして変ぜざるは、静の至りなり、
故に曰く、
形を労して休まざるは則ち弊す、精を用ひて
水の性の、
故に曰く、
純粋にして雑じらずんば、静一にして変ぜず、淡にして無為、動きて以て天行す。
此れ神を養うの道なり、と。
現代語訳・抄訳
故に古語に云う。
妄りに悲楽を生ずるは徳の邪であり、妄りに喜怒を生ずるは道の禍であり、妄りに好悪を生ずるは徳の失である。
故にその心に憂楽なきを徳の至りといい、一を主として変ぜざるを静の至りといい、拘泥せざるを虚の至りといい、物我に覆われざるを淡の至りといい、私心に惑わざるを粋の至りという、と。
故に古語に云う。
形ばかり追いて己に反らざれば心は破れ、精神を放溺して安んざれば労して尽きる。
水の性は外物に雑じらずして純粋、動かずして静穏なるも、鬱閉して流れることあらざれば、腐敗して澄まない。
これは天徳の象なのである、と。
故に古語に云う。
純粋にして雑じらざれば、静一にして変ぜず、恬淡なるが故に無為、一たび動かば天理に沿いて万事具わる。
これは心神を養う道なのである、と。
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