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劉安

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淮南子-主術訓[25.2]

あまね萬物ばんぶつを知りて人道を知らざるは、智と謂ふ可からず、遍く郡生を愛して人類を愛せざるは、仁と謂ふ可からず。
仁は其の類を愛するなり、智は惑ふ可からざるなり。
仁は断割だんかつの中に在ると雖も、其の忍びざる所の色を見る可きなり。
智は煩難の事に遇ふと雖も、其のくらからざるのこうを見る可きなり。
内を恕し情に反り、心の欲せざる所、其の諸人に加へず、近きに由り遠きを知り、己に由り人を知る、此れ仁智の合して行ひし所なり。
小を教ふる有りて大を存する有るなり、小を誅する有りて大をねいする有るなり、唯だ惻隠を推して之を行ふ、此れ智者の獨り断ずる所なり。
故に仁智はさくし、時有りて合す、合する者を正と為し、錯する者をと為す、其の義は一なり。
府吏ふりは法を守り、君は義をおさむ、法ありて義無くんば、亦た府吏なり、以て政を為すに足らざらん。

現代語訳・抄訳

博識であろうとも人道を知らざれば智とは言えないし、博愛であろうとも人類を愛せざれば仁とは言えない。
仁は必ず其の類を愛することから始まり、智は人道を存するが故に惑うことはない。
仁は必ず自らの信念に由りて事を断じ、同時に憐憫の情で全てを包み込む。
智は必ず事に応じて全てを察し、惑わずして全てを明かにしてゆく。
内には恕を存し人情を巡らし、良心に反することを人に加えること無く、近きに由りて遠きを知り、己に由りて人を知る、これは仁と智が渾然と調和した姿なのである。
小を化するも遍く広がりて大なる化となり、小を誅するも遍く広がりて大なる効に至る。
これというのも仁の端たる惻隠の心を推して断行するが故であり、真の智者にして始めて成る。
故に仁智は相違い、時有りて相合する。
その相合せしときを正道と呼び、その相違いしときを権道と呼ぶが、その義は一である。
下に在りし者達は法を守り、人君たるは義に由りて定める。
故に法あろうとも義が存さねば、上に立つ者とは言えない。
如何に政務を執り行おうとも民を安んずるには至らないであろう。

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語句解説

忍びざる所の色(しのびざるところのいろ)
罪は悪むとも、その人間の本質自体を悪むことはない。
效(こう)
効。いたす。ならう。ききめ。正しきをいたす。あきらかにする。あらわす。
心の欲せざる所(こころのほっせざるところ)
古書には「心之所不欲」とある。ネット上の原文には「心之所欲」としかないが、古書の方に倣った。
寧(ねい)
やすらか。ねがう。安んずる。
権(けん)
一時的なその場に応じた都合のよいやり方。
府吏(ふり)
役所につとめる下級役人。
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