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戴聖

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礼記-祭義[19]

宰我さいが曰く、
吾れ鬼神の名を聞きて、而して其の謂ふ所を知らず、と。
曰く、
は、神の盛んなるなり。
はくは、鬼の盛んなるなり。
鬼と神とを合するは、おしえの至りなり。
衆生しゅじょうは必ず死し、死さば必ず土へと帰す。
此れを之れ鬼と謂ふ。
骨肉は下にたおれてひそかに野の土と為り、其の気は上に発揚し、昭明しょうめいし、焄蒿くんこうし、凄愴せいそう*1を為す。
此れ百物の精なり、神のあらはれなり。
物の精に因りて、おさめて之がきょくを為し、鬼神と明命めいめいし、以て黔首けんしゅのりと為す。
百衆以て畏れ、萬民以て服す、と。

現代語訳・抄訳

宰我は云った。
鬼神という言葉を聞きますが、それは如何なるものなのでしょうか、と。
孔子は云った。
気は神の盛んなりしものにして、魄は鬼の盛んなりしものである。
古人が鬼神と呼び、この二つを合して一と称するは、真に真たる万物の道理を示したのである。
誰しもが必ず死し、死さば土へと還る。
これを鬼と云う。
万物の骨や肉は地へと朽ちて遂には野の土となり、その気は天へと発揚して万物を照らし、普く広がりて共鳴せしめ、遂には通ずるに至る。
これ種々多様なる精の生ぜし所以にして、神の顕われと云う。
そこで鬼が諸物の精として生ずるの時を至尊して、その根源たる働きを鬼神と称するように定め、以て人民の規範とした。
故に百官衆庶の誰もがこれを畏敬し、そして天下万民の誰もがこれに則り敬うわけである、と。

出典・参考・引用
明倫館点「五経」(礼記・元)73/81
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語句解説

宰我(さいが)
宰我。春秋時代の斉の大夫。魯の人。宰予。孔門十哲の一人。弁舌に優れる。
孔子(こうし)
孔子。春秋時代の思想家。儒教の始祖。諸国遊説するも容れられず多数の子弟を教化した。その言行録である論語は有名。
魂気(こんき)
魂気。精神の魂。霊魂。
形魄(けいはく)
形魄。からだの精気。肉体の魂。
衆生(しゅじょう)
人間を含むすべての生き物のこと。
昭明(しょうめい)
くまなく明かであること。
焄蒿(くんこう)
香気のただよう様。
凄愴(せいそう)
凄まじくいたましい。心がいたむ。
百物の精(ひゃくぶつのせい)
様々な事物の精霊。鬼の朽ちて生ずるものだと思われる。
明命(めいめい)
大学にある「明徳」の明と同様な意味だと思われる。本来的に明なる命。明かにする(明かになる)のはなく、そもそも根本的に明かなのである。
黔首(けんしゅ)
人民。「黔」は黒い意で、人民は冠をかぶらずに黒い頭を出していたことから。
神の盛んなりしもの(しんのさかんなりしもの)
生じ、興隆し、滅し、再び生ず。この万物流転において、「盛んなる」は興隆せし時をいう。万物は魂気と形魄を存し、双方興隆するも死すれば各々天地に帰する。地に帰せし鬼は土と同化し精霊となり、天に帰せし神は普く広がりて万物に通ずる無たる存在となる。
神の顕われ(しんのあらわれ)
神は本来見えぬ存在である。朽ちて天へと帰するも、鬼がわずかに精霊として存するが如くにすら顕われない。そこで鬼が精となりし時には神もまた天に上りて発揚しているであろうから、この時を以て「神の著はれ」と呼ぶ。
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  • *1「心がいたむ」には感じて心が一となるはずであるから、ここでは共鳴して通ずるという意にした。

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