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司馬遷

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史記-本紀[殷本紀][29-30]

帝乙ていいつの長子を微子啓びしけいと曰ひ、啓の母は賤しく、なるを得ず。
少子はしん、辛の母は正后にして、辛が嗣と為る。
帝乙崩ず、子の辛立つ、是れを帝辛と為す、天下に紂と謂ふ。
帝紂は資弁捷疾、聞見ぶんけん甚ださとし。
材力は人に過ぎ、猛獣を手格しゅかくす。
知は以て諫をくじくに足り、言は以て非を飾るに足る。
人臣にほこるに能を以てし、天下に高ぶるに声を以てし、以為おもへらく皆な己の下に出でたりと。
酒を好み淫を楽しみ、婦人をへいす。
妲己だっきを愛し、妲己の言に是れ従ふ。
是に於いて師涓しけんをして新淫声いんせい北里ほくりの舞、靡靡びびの楽を作らしむ。
賦税ふぜいを厚くして以て鹿台ろくだいの銭を実たし、而して鉅橋きょきょうあわつ。
ますます狗馬くば奇物を収め、宮室を充仞じゅうじんす。
ますます沙丘の苑台えんだいを広め、多く野獣蜚鳥ひちょうを取りて其の中に置く。
鬼神を慢す。
大いにあつめ沙丘に楽戯す。
酒を以て池と為し、肉を懸けて林と為し、男女をしてし其の間に相ひはしめ、長夜の飲を為す。

現代語訳・抄訳

帝乙の長子は微子啓であったが、庶子の子であったので後継ぎとはならなかった。
末子のしんは、母が正后であったので、辛が後継ぎとなった。
帝乙が崩御すると、子の辛が即位した、これを帝辛と云う。
天下の人々は紂と呼ぶ。
帝紂は資弁捷疾にして、見聞に聡く、その力量は人々を凌駕し、猛獣すらも手で撃ち殺す程であった。
その知たるや諫めを遠ざけるに足り、その言たるや非を飾りて是なるが如くに論ずるに足りた。
人臣に対しては己が才能に驕り、天下に対してはその盛名に驕り、誰一人として己に及ぶ者はいないと自負していた。
紂は酒を好み淫靡な遊びを楽しみ、女に溺れた。
有蘇氏を征伐して妲己を得ると、これを寵愛し、その言であれば何でもいうことを聞いた。
妲己のために楽官の師涓に命じて淫靡な音楽を作らせ、民衆からは多大な税を取り立てて金品穀物を蓄え、珍種の動物や珍品を集めて宮室を満たし、宮殿を拡張しては、様々な野獣や飛鳥を捕まえては放し飼いにした。
鬼神を慢り、盛んに人々を集めては沙丘の地において楽しみ戯れ、酒池肉林をなし、男女を裸にしては互いに追いかけさせ、昼夜を問わずに享楽の限りを尽したのである。

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語句解説

紂王(ちゅうおう)
紂王。殷の三十代皇帝で暴君の代表。帝辛。材力人に過ぎ勇猛であったが無道にしてその治世は乱れ、周の武王によって滅ぼされた。
手格(しゅかく)
素手で戦うこと。手でとらえる。
嬖(へい)
気に入りの女を愛しむこと。
妲己(だっき)
妲己。有蘇氏の美女で殷の紂王に寵愛された。国を滅ぼす悪女の典型として描かれることが多い。
師涓(しけん)
師涓。殷の紂王に使えた楽官。紂王に命ぜられるがまま「新淫の声」「北鄙の舞」「靡靡の楽」などの淫靡な音楽を作したとされる。衛の霊公にも同名の人物がいるが別人。
鹿台(ろくだい)
紂王が財宝を蓄えたとされる倉庫。
鉅橋(きょきょう)
紂王が穀物を蓄えたとされる倉庫。
充仞(じゅうじん)
満ちていっぱいになること。充満。
苑台(えんだい)
宮廷の庭園と高台。
蜚鳥(ひちょう)
飛鳥のこと。
最(あつめる)
取り集める意がある。注釈には「聚」に通ずるとある。
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