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曾先之

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十八史略-殷[紂王]

太丁、帝乙をて帝しんに至る、名は受、号して紂と為す。
資弁捷疾しべんしょうしつ、猛獣を手挌しゅかくし、智は以て諫めをふせぐに足り、言は以て非を飾るに足る。
始めて象箸ぞうちょつくる。
箕子きしたんじて曰く、
象箸ぞうちょつくるは、必ず盛るに土簋どきを以てせず、将に玉杯ぎょくはいつくらんとす。
玉杯象箸は、必ず藜藿れいかくあつものにし、短褐たんかつて、茆茨ほうじの下にやどらず。
則ち錦衣九重きんいきゅうちょう、高台広室、此れにかなへて以て求めば、天下も足らざらん、と。
紂、有蘇氏ゆうそしを伐つ。
有蘇氏は妲己だっきを以てめあわす。
ちょう有りて、其の言に皆な従ふ。
賦税ふぜいを厚くし、以て鹿台ろくだいの財を実たし、鉅橋きょきょうぞくたす。
沙丘の苑台えんだいを広め、酒を以て池と為し、肉をけて林と為し、長夜のいんを為す。
百姓は怨望えんぼうし、諸侯にそむく者有り。
紂は乃ち刑辟けいへきを重くす。
銅柱をつくり、あぶらを以て之に塗り、炭火たんかの上に加え、罪有る者をして之にらしむ。
足滑らかにしてつまづきて火中に堕つ。
妲己と之を観て大いに楽しむ、名づけて曰く炮烙ほうらくの刑と。
淫虐いんぎゃく甚だし。
庶兄の微子びししばしば諫むるも従はず。
之を去る。
比干ひかん、諫めて三日去らず。
紂怒りて曰く、
吾れ聞く聖人の心には七竅しちきょう有り、と。
きて其の心を観る。
箕子きしいつはり狂ひてと為る。
紂之をとらふ。
殷の大師たいしは其の楽器祭器を持して周にはしる。
周侯昌、及び九侯、鄂侯がくこうは紂の三公なり。
紂、九侯を殺す。
鄂侯争ふ。
ならびに之をにす。
昌聞きて歎息たんそくす。
紂、昌を羑里ゆうりとらふ。
昌の臣散宜生さんぎせい、美女珍宝を求めて進む。
紂大いに悦び、乃ち昌をゆるす。
昌退きて徳を修む。
諸侯多く紂にそむきて之に帰す。
昌卒す。
子の立つ。
諸侯をひきひて紂を伐つ。
紂、牧野に敗れ、家玉を衣て自ら焚死ふんしす。
殷亡ぶ。
箕子、後に周に朝し、もとの殷の墟を過ぐるに、宮室毀壊きかいして禾黍かしょを生ずるをいたむ。
哭せんと欲すれども不可なり。
泣かんと欲すれども則ちわざの婦人に近し。
乃ち麦秀ばくしゅうの歌を作りて曰く、
麦秀漸漸ぜんぜんたり、禾黍かしょ油油ゆうゆうたり、彼の狡童こうどうや、我と好からざりき、と。
殷の民之を聞きて皆な流涕りゅうていす。
殷の天子たること三十一世、六百二十九年なり。

現代語訳・抄訳

殷は太丁、帝乙と続いて帝辛に至った。
帝辛は名を受といい、世の人々からは紂と呼ばれた。
資弁捷疾にして猛獣を手で撃ち殺す程の剛勇を持ち、才智は諫言を斥け、言論は非すら是としてしまう程に巧みであったという。
紂はそれまでの竹木の箸に代えて象牙の箸を作った。
これを知った箕子が歎じて云った。
斯様に象牙の箸を作らば、必ずや食器もまた豪奢になるであろう。
道具が贅沢になれば、必ずや食べ物も豪華になり、衣服もまた粗末なものなど着なくなるであろう。
贅沢は食事から始まって身の回りのものにまで及び、やがては宮殿も壮大なものを建てるようになる。
何もかもこれにつり合うように求めてゆけば、如何に天下に財があろうとも足りるものではない、と。
紂は有蘇氏を征圧し、有蘇氏は妲己を献上した。
やがて紂は妲己を寵愛するようになり、妲己が望むことは何でも聞くようになっていった。
妲己と共に贅沢の限りを尽し、税金を厚くして国庫を富ませ、宮殿を拡張し、酒池肉林、昼夜問わずに何日も酒宴を開いた。
これに民衆は怨嗟の声を挙げ、諸侯には殷から離れていく者が続出した。
そこで紂は刑罰を重くして取り締まった。
銅柱を作って膏を塗り、炭火の上に渡して罪有る者を歩かせた。
紂と妲己はこれを「炮烙の刑」と称し、歩かされた者が膏で滑って火中に落ちてゆく様を眺めて楽しんだ。
残虐なること此処に極まり、微子がしばしば諫言するも少しも従う様子もなく、故に微子は殷を去った。
次いで比干が諫言すること三日、比干は去らずに諫言を続けた。
これに紂が怒って云った。
吾は聖人の心臓には七つの穴があると聞いたことがある、と。
そう云うや比干の胸を裂いて殺してしまった。
諫言するも聞き入れられぬことを知った箕子は狂った風を装って奴婢に身をやつしたが、紂はこれを許さずに幽閉した。
ここに至って雅楽長までもが楽器祭器を持って周へと亡命した。
周侯の昌、及び九侯、鄂侯は紂の三公であった。
紂はその一人である九侯を殺し、これに鄂侯が諫争すると、鄂侯までも殺して二人とも干し肉にしてしまった。
これを知った昌は歎息し、故に紂は昌を幽閉した。
昌の臣下であった散宜生は美女珍宝を献上し、昌の釈放を願った。
献上品に悦んだ紂が昌を釈放すると、昌は国に帰って徳を以て国を治めた。
その様子を見ていた諸侯は、相次いで紂に叛いて周へと帰朝した。
やがて昌が死に、子の発が即位した。
即位した発は諸侯を率いて紂を討伐した。
紂は牧野で大敗し、家玉を抱いて自ら火中に投じて死に、殷は亡んだ。
後に周に帰朝した箕子は、以前の殷の廃墟を過ぎた時、かつての栄華を極めた宮殿が朽ち果てて粟やきびが繁々と生えている様を見て慨嘆した。
周に仕える身としては声を挙げて泣くこともできず、忍び泣くは婦女子なるが故にできず、そこで「麦秀の歌」を詠じて曰く、
麦秀漸漸たり、禾黍油油たり、彼の狡童や、我と好からざりき、と。
これを聞いた殷の民は皆な涙を流したという。
殷は三十一世、六百二十九年であった。

出典・参考・引用
曽先之編・陳殷釈・赤沢常道訳「啓蒙十八史略」(巻之1)32/53,早稲田大学編輯部編「漢籍国字解全書」(第36・37巻)25-26/306
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語句解説

手挌(しゅかく)
武器を用いずに手で打ち殺すこと。
象箸(ぞうちょ)
象牙の箸のこと。贅沢なものとされた。
箕子(きし)
箕子。殷の紂王の叔父。殷の三仁の一人。紂王を諫めるも聞き入れられず、故に狂人を装ったところ幽閉された。後に箕子朝鮮を立てたとされる。
土簋(どき)
土製の食器。簋は「はこ」「包みこむ」の意。
藜藿(れいかく)
あかざと豆。
短褐(たんかつ)
麻や木綿でつくった丈の短い粗末な服のこと。
茆茨(ほうじ)
かやぶきの家。
錦衣九重(きんいきゅうちょう)
錦の衣服を幾重にも重ねて着ること。
妲己(だっき)
妲己。有蘇氏の美女で殷の紂王に寵愛された。国を滅ぼす悪女の典型として描かれることが多い。
賦税(ふぜい)
税を賦課すること。人民に納めさせる税金のこと。賦役と貢税のこと。
鹿台(ろくだい)
紂王が財宝を蓄えたとされる倉庫。
鉅橋(きょきょう)
紂王が穀物を蓄えたとされる倉庫。
苑台(えんだい)
宮廷の庭園と高台。
怨望(えんぼう)
うらみに思うこと。望はうらみ責めるの意。
刑辟(けいへき)
処罰すること。辟は法、重い仕置きの意。
微子啓(びしけい)
微子啓。殷の紂王の腹ちがいの兄。紂王の暴虐を諫めるも聞き入れられず国を去ったという。殷滅亡の後、殷の旧領の一つを与えられ宋に封ぜられた。
比干(ひかん)
比干。殷の忠臣。殷の三仁の一人。紂王の叔父で、紂王の暴政を諫言して殺された。
七竅(しちきょう)
聖人の胸にあるとされた七つの穴。人の顔にある目、耳、鼻の各二つと口の七つを指す場合もある。
大師(たいし)
官名。周代に音楽のことをつかさどった官の長。また、三公の一で天子の教育に当たる職。なお、大軍の意や高僧の称号として用いられることもある。
文王(ぶんおう)
文王。周の武王の父で西伯とも呼ばれる。仁政によって多くの諸侯が従い、天下の三分の二を治めたという。
三公(さんこう)
臣下の最高の三つの官職で周では「太師」「太傅」「太保」、前漢で「丞相(大司徒)」「太尉(大司馬)」「御史大夫(大司空)」、後漢で「太尉」「司徒」「司空」をいう。
脯(ほ)
干し肉。ほじし。果物の乾かしたもの。
羑里(ゆうり)
殷の獄舎の名前。西伯の文王はここに幽閉された。
散宜生(さんぎせい)
散宜生。周の賢臣。文王四友の一人。武王の代には殷を討伐を補佐し、創業を援けた。
武王(ぶおう)
武王。周王朝の始祖。太公望を擁して殷討伐を成し遂げた。
毀壊(きかい)
事物を壊しくずすこと。
禾黍(かしょ)
粟や稲、きび。田畑の作物。
為(わざ)
名詞として「しわざ」「わざ」の意がある。
漸漸(ぜんぜん)
伸び伸びと。徐々に。
油油(ゆうゆう)
盛んな様、つやのある様。
狡童(こうどう)
悪賢い小童。ここでは紂のことを指す。
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