1. 王陽明 >
  2. 伝習録 >
  3. 伝習録上 >
  4. 3
  5. 5
  6. 8
  7. 115
  8. 116
  9. 117

王陽明

このエントリーをはてなブックマークに追加

伝習録-伝習録上[8]

又た曰く、
知は是れ心の本體。
心は自然に知を会す。
父を見ては自然に孝を知り、けいを見ては自然にていを知り、孺子じゅしせいに入るを見ては、自然に惻隠を知る。
此れは便すなはち是れ良知。
外に求むるをらず。
良知の発するが若きは、更に私意の障礙しょうがい無し。
即ち所謂其の惻隠の心を充ちて、而して仁を勝げて用ひる可からず
然るに常人に在りては私意の障礙無きこと能はず。
所以ゆえすべからく致知格物の功を用ひて、私に勝ち理に復るべし。
即ち心の良知に更に障礙無く、以て充塞流行じゅうそくりゅうこうするを得ん。
便ち是れ其の良知を致すなり。
知致は則ちまことなり、と。

現代語訳・抄訳

更に王陽明は云う。
知というものは心の本体である。
心というものは自然に覚り自然に得る。
父と触れては自然に孝なるを知り、兄と触れては自然に悌順なるを知り、幼児の井戸に入らんとするを見れば、自然に惻隠の心を生ず。
これらはどれも良知なのである。
これは誰しもが備えしものであり、外に求めること無くして自ずから己の内に在る。
真に良知が発せられたならば、私心に惑いて意が動じることは在り得ない。
自ずから発せられし惻隠の心が拡充し、仁となりて全てに及ぶのである。
然るに多くの人は私心に惑いて意が動く故に、良知が遮られてしまって発揚しきれない。
故に格物致知の功夫によって、私利私欲を去って心を正し、理に帰せねばならないのである。
されば心の良知に妨げとなるものは無く、遂には天地万物あらゆる全てに通ずる理を得るであろう。
これを己が良知を致すという。
故に知を致せば、意は誠になると大学にいうのである、と。

出典・参考・引用
東正堂述「伝習録講義」(一)40/189,王陽明著・雲井竜雄抄・杉原夷山注解「伝習録」41-42/196
関連タグ
伝習録
王陽明
古典
  • この項目には「1個」の関連ページがあります。
<<  前のページ  |   ランダム   |  次のページ  >>

語句解説

假(か)
仮。一時的に借りる意がある。また、真に非ざるものという意も含む。
勝げて用ひる可からず(あげてもちひるべからず)
いくら用いても用いられぬこと。
大学(だいがく)
四書五経の一。もとは礼記の一篇であったが、後に分離されて儒教の重要経典の一つとなった。
<<  前のページ  |   ランダム   |  次のページ  >>

関連リンク

「體」は体の旧字で、骨+豊。「骨」は上部の骨格を示す象形文字に肉…
孝とは父母を敬愛し子としての道を尽すこと。ただし、父母に順じるこ…
惻隠
心からの憐憫の情。相手を同情して慈しむこと。一切を包容することで…
わたくし。自分本位で利己的なこと。私ひそかとも使い、この場合は他…
仁とは一切を包容する分け隔てない心である。仁であってはじめて是を…
格物致知
事物の道理を追究することで窮理ともいう。格物致知は礼記の一篇であ…
王陽明
中国の明代の儒学者で政治家。1472-1528年。陽明は号で、本名は王守…
功夫
クンフー。中国武術の別名。「練習、鍛錬、訓練の蓄積」の意味でも使…
私利私欲
私心による欲と利のこと。他を省みることなく自分の欲望のみを大事と…
大学
四書五経のひとつ。もとは礼記の一篇であるが、北宋の司馬光によって…


Page Top