王陽明
伝習録-伝習録上[8]
又た曰く、
知は是れ心の本體。
心は自然に知を会す。
父を見ては自然に孝を知り、
此れは
外に求むるを
良知の発するが若きは、更に私意の
即ち所謂其の惻隠の心を充ちて、而して仁を勝げて用ひる可からず。
然るに常人に在りては私意の障礙無きこと能はず。
即ち心の良知に更に障礙無く、以て
便ち是れ其の良知を致すなり。
知致は則ち
現代語訳・抄訳
更に王陽明は云う。
知というものは心の本体である。
心というものは自然に覚り自然に得る。
父と触れては自然に孝なるを知り、兄と触れては自然に悌順なるを知り、幼児の井戸に入らんとするを見れば、自然に惻隠の心を生ず。
これらはどれも良知なのである。
これは誰しもが備えしものであり、外に求めること無くして自ずから己の内に在る。
真に良知が発せられたならば、私心に惑いて意が動じることは在り得ない。
自ずから発せられし惻隠の心が拡充し、仁となりて全てに及ぶのである。
然るに多くの人は私心に惑いて意が動く故に、良知が遮られてしまって発揚しきれない。
故に格物致知の功夫によって、私利私欲を去って心を正し、理に帰せねばならないのである。
されば心の良知に妨げとなるものは無く、遂には天地万物あらゆる全てに通ずる理を得るであろう。
これを己が良知を致すという。
故に知を致せば、意は誠になると大学にいうのである、と。
- 出典・参考・引用
- 東正堂述「伝習録講義」(一)40/189,王陽明著・雲井竜雄抄・杉原夷山注解「伝習録」41-42/196
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語句解説
- 假(か)
- 仮。一時的に借りる意がある。また、真に非ざるものという意も含む。
- 勝げて用ひる可からず(あげてもちひるべからず)
- いくら用いても用いられぬこと。
- 大学(だいがく)
- 四書五経の一。もとは礼記の一篇であったが、後に分離されて儒教の重要経典の一つとなった。
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