孔子
論語-子路[20]
子貢問ひて曰く、
子曰く、
己を行ふに恥有り、四方に使ふに君命を辱めず、士と謂ふ可しか、と。
曰く、
敢へて其の次を問ふ、と。
曰く、
宗族は孝と称し、郷党は
曰く、
敢へて其の次を問ふ、と。
曰く、
言は必ず信、行は必ず果、
曰く、
今の政に従ふ者は何如、と。
子曰く、
現代語訳・抄訳
子貢が孔子に尋ねた。
どのような人物ならば士と呼ぶに足るでしょうか、と。
孔子は云った。
己の生き方に恥が有り、四方に君命を得て使いすれば命は全くして相手を感嘆せしむる、このように在れば士と呼べるであろうか、と。
更に子貢が尋ねた。
敢えて問いますが、士に足らざるはどのような者でしょうか、と。
孔子は云った。
一族の者には孝であると呼ばれ、故郷の者達には弟と呼ばれし者であろう、と。
更に子貢が尋ねた。
敢えて問いますが、更にその次はどのようなものでしょうか、と。
孔子は云った。
言には必ず信を欲し、行には必ず果を欲す。
余裕が存せずして静ならず、故に小人たるを免れぬが、己としての義はそれなりに存するわけであるから数えるには足る、と。
子貢が尋ねた。
それでは今の政治にたずさわりし者はどうでしょうか、と。
孔子は云った。
ああ、数えるにも足らぬ人々ばかりである、と。
- 出典・参考・引用
- 久保天随著「漢文叢書第1冊」417-419/600
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備考・解説
注に曰く、
此れ其の志為さざる所有りて、而して其の材以て為す有るに足る者なり。
子貢は言を能くす、故に
陳新安曰く、
独り能く言ふを貴ばざるは、蓋し己を行ふに恥有るを以て本と為すなり、と。
朱子曰く、
己を行ふに恥有らば、則ち其の身を辱めず、使して能く職を尽さば、則ち君命を辱めず、と。
饒雙峰曰く、
恥有るは士の行なり、命を辱めざるは士の能なり、其の行有りて又た其の能有るは全才なり。
故に士と謂ふ可し、と。
注に曰く(宗族郷党に孝弟なる)、
此れ本立ちて材足らざる者なり、故に其の次と為す、と。
大全に朱子曰く、
孝弟にして豈に是れ第一等の人ならざらんや。
而して聖人未だ以て士の上と為さざる者は、僅かに能く其の身をして過ぐる無からしめて、人の国に益無く、一夫の私行を守りて其の固有の良心を広むること能はざるなり、と。
異注に曰く(言に必ず信、行に必ず果)、
何の病ある、病は
必とせざれば則ち変化無方、故に大なり。
必とすれば則ち一を執りて化せず、故に小なり、と。
注に曰く、
果は必ず行なり。
此れ其の本末皆な観るに足る無く、然も亦た其の自ずから守ると為すを害せざるなり。
故に聖人猶ほ恥ること有り、此より下りては則ち市井の人、復た士と為す可からざらんや、と。
胡雲峰曰く、
須らく本末の二字を看るべし、蓋し士の士たる所以の者は、其の本を行へばなり、才は其の末なり。
志為さざる所有りて、而して才以て為す有るに足るは、是れ本末
其の次は則ち但だ其の本立つを取り、又た其の次は則ち本末皆な取るに足る無く、而して猶ほ自ら守りて為すを失はず。
故に曰く、此れより下は則ち市井の人、復た士と為す可からざらんや、と。
蒙引に云く(今の政に従ふ者)、
上文の集注に此れより下れば則ち市井の人、復た士と為す可からずと曰ふは、則ち此の斗筲の人、
何ぞ士の数に備ふるに足らんや、と。
程子曰く、
子貢の意、蓋し
夫子之に告ぐるは、皆な篤実自得の事なり、と。
語句解説
- 子貢(しこう)
- 子貢。春秋時代の衛の学者。端木賜、字は子貢。孔門十哲の一人。利殖に長け弁舌に優れる。孔子には「往を告げて来を知る者なり」と評された。
- 弟(てい)
- 長幼の序を存する様。年長を貴ぶこと。ただし、単になんでも命令を聞いたりすることではない。ただ従順なだけでは媚び諂いと変わらない。
- 硜硜(こうこう)
- 堅い石をうつ音で、余裕のない様にたとえる。
- 使いすれば命は全く(つかいすればめいはまったく)
- 命を受けて使いするも、事の流れに応じて自由自在に艱難を去って君命を遂げる。故にこの使者ならばその君もまた偉大であろうとされるに至る。
- 弟と呼ばれし者(ていとよばれしもの)
- 孝弟という人倫の根本は立っている。孔子いう「文質彬彬として君子かな」と。徳に溢れるもそれだけでは世事に処するには充分ではない。
- 使事(しじ)
- 使者の職。使いとしてすべきこと。
- 皎皎(こうこう)
- 白いさま。潔白なさま。明るく光り輝くさま。
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