論語-学而[4]
原文
曾子曰。吾日三省吾身。為人謀而不忠乎。與朋友交而不信乎。傳不習乎。
書き下し文
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曾子曰く、
吾れ日に吾が身を三省す。[1]
人の為に謀りて忠ならざるか。
朋友と交わりて信ならざるか。[2][3][4][5]
習はざるを伝へしか、と。[6][7][8][9][10][11][12][13][14][15][16][17][18]
現代語訳・抄訳
曾子は言った。
私は常に自らのあり方を省みている。
人の為に心を動かされて、忠ならざる事はなかったであろうか。
志を同じくする友なるに、意に従うばかりで信ならざる事はなかったであろうか。*3
己の身にもなっておらぬ事を妄りに発して、人を惑わせてはおらぬであろうか、と。
- 出典・参考・引用
- 久保天随著「漢文叢書第1冊」39-41/600,伊藤仁斎(維禎)述、佐藤正範校「論語古義」18-19/223
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備考・解説
己を欺かず、友を欺かず、師を欺かず。
中の心は超越と発展向上、自己を亡くせば忠ならず。
信は人+言、人が言べて違えざるをいう。
「一心以て万友に交わるべく、二心以て一友に交わるべからず」の謂い、自己自身を以て心友と交わるべし。
習は知行合一、忠信そのまま習である。
習なれば、邦に在りても必ず達し、家に在りても必ず達す。
徳化四方に及びて自然と伝うは、自己を以て発すればなり。
己の心を偽っていないか。
友の心を偽っていないか。
師の心を偽っていないか。
注釈
- 不明
- 註に云はく、
有れば則ち之を改む、と。
固 より省に属す。
又た云はく、
無ければ即ち加 勉む、と。
真に此の身一日も尚在 する有れば、此に省みて一日も懈 らず、極めて曾子の日に省するの意を得。(不明) - 程伊川
- 己を発して自ら尽すを忠と為し、物に
循 ひて違 ふ無きを信と謂ふ。(程伊川) - 朱子
- 忠は是れ心上に就きて説く、信は是れ事上に就きて説く。(大全)
- 大全
- 忠は是れ信の本、信は是れ忠の発。(大全)
- 大全
- 忠信は只だ是れ一事にして、内外始終本末を相ひ為す。
己に有るを忠と為し、物に見 るるを信と為す。(大全) - 不明
- 謀りて忠ならざるは則ち人を欺く、言ひて信ならざるは則ち友を欺く、伝へて習はざるは則ち師を欺く、自ら欺くことを戒しむ、是れ曾子、力を学問に得、須らく
看得 極細にすべし。
三の不字を玩 ふ、外面に在りて看よ。
人に過ぐることを得れば、儘 く他を得ることを相ひ信じ、但だ自心に略 安らかならざる処有るは、便 ち是れ自ら欺くなり。
三の乎の字、正に省の字に応ず、是れ己を省み作 すの事ならず、乃ち自己を捜尋 し、疚 しき処有りて、惟だ其の復た不知不覚の中に慝 れんことを恐るるなり。(不明) - 不明
- 三の乎の字は、是れ心に問ふの詞、自ら
猜 れ自ら疑ふの意有り、所謂、省なり。
日は是れ日々此の如し、省は是れ空々に省みるにあらず、便ち精察力行して敢へて自ら逸 ざるの意有り。
人を視ること猶ほ己がごとし、方 に是れ忠、若し人と己を分たば、便ち是れ忠にあらず。
信は但だ言語のみならず、凡そ情貌 相ひ符 はず、初終 相ひ副 はざるは、便ち是れ不信。
習ふは知行を兼ぬ、一刻の間断有るは、便ち是れ習はざるなり。
三者都 て身に切なる上に在りて講ず。(不明) - 朱子
- 曾子
也 た是れ截然 として別底を省みずんばあらず、只だ是れ此の三事の上に見得 たり。
実に繊毫 も未だ到らざる処有らば、其の他固 に自ら省みずんばある可からず、特 だ此の三事、較 急なるのみ。
有らば則ち之を改め、無くば則ち加 勉む。(朱子) - 新安の陳氏
- 易の
蹇 の卦の大象に曰く、
山上に水有るは蹇 なり、君子以て身に反 りて徳を修む、と。
程伝に曰く、
君子艱蹇 に遇へば、必ず身を自省 す。
失有りて之を致すや、未だ善ならざる所有れば則ち之を改む、心に慊 ること無ければ則ち加 勉む、と。
集註二句の本づく所、蓋し此に在り。
有らば則ち之を改むるは知り易し、無くんば則ち加 勉むるは、深く曾子の心を知るに非ざれば此に及ばず。
自省 して失 無からしむ、只だ此の如くにして已 むときは、則ち三失まさに又た生ぜんとす。
豈に日に省みて勉勉 として已 まざるの誠心 ならんや。
無則加勉の四字、本文の意の未だ尽くさざる所を補ふ可し。
其の自ら治むる、誠切 なること此の如し、学を為すの本を得たりと謂ふ可し。
而して三者の序は、則ち又た忠信を以て伝習の本と為すなり。(新安の陳氏) - 朱子
- 三省は
固 より聖人の事に非ず、然も是れ曾子、晩年徳に進んで工夫す、蓋し微 き這 の些子 査滓 有り、去りて未だ尽きざるのみ。
学者に在りては、則ち当に事に随ひて省察すべし、但だ此の三者のみに非ず。(朱子) - 衍明
- 陽明子曰く、
曾子の三省、蓋し是れ未だ一貫を聞かざるの前なり、若し既に一貫を唯了 せば、則ち天下の事、一以て之を貫く、三省何ぞ為さんや、と。(衍明) - 湛甘泉
- 何を以て吾が身を三省すと為すや。
身なるは心なり、之を省みるは心なり、忠信習は皆な心なり、中心を忠と為す、実心を信と為す、自強 して息 まざるの心を以て習と為す、皆な一心なり。
事に随ひて其の名を異にするのみ、此れ以て曾子一貫の心学を見る可し。
曾子は守ること約たりと謂ふ可し。(湛甘泉) - 蒙引
- 所謂、学を為すの本を得とは、自ら治むること
誠切 なるを指して言ふ。
誠は誠心にして欺かざるなり、切は己に切なるなり。
曾子の三省、決然として一貫の先に在り。(蒙引) - 許白雲
- 此の語は是れ上の自治誠切に接して
推 み出だし去りて説く。
此の忠信の字、是れ大綱、心の誠実の処を説く、蓋し誠実の心有れば、則ち伝習す可し、此れ無くんば則ち己が為の学に非ず。
然も此れ是れ本註、故に只だ章内に就きて説くは、読者又た当に凡そ事皆な忠信を以て本と為すを推出 すべきなり。(通義) - 尹焞
- 曾子、守ること約なり、故に動くときは必ず諸身に求む。(尹焞)
- 謝良佐
- 諸子の学、皆な聖人に出づ、其の後
愈 遠くして、愈 其の真を失ふ。*1
独り曾子の学、専ら内に心を用ふ、故に之を伝へて弊無し、子思、孟子を観て、見る可し。
惜しいかな、其の嘉言善行、尽く世に伝はらざることをや。
其の幸ひに存して未だ泯 ざるは、学者其れ心を尽さざる可けんや。(謝良佐) - 伊藤仁斎
- 古は道徳盛んにして、議論平らかなり。
故に其の己を修めて人を治むるの間、専ら孝弟忠信を言ひて、未だ嘗て高遠微妙の説は有らざるなり。
聖人既に没し、道徳始めて衰ふ。
道徳始めて衰へて、議論始めて高し。
其の愈々衰ふるに及びては、則ち議論益々高くして、道徳を去ること益々甚だし。
人唯だ議論の高きを悦ぶを知りて、其の実、道徳を去ること益々遠きを知らず。
仏老の説、後儒の学是れのみ。
蓋し天地の道は、人に存し、人の道は、孝弟忠信より切なるは莫し。
故に孝弟忠信は、以て人道を尽すに足る。
曾子の言の若きは、後世の学者、孰 か能く其の至極に造 りて復た加ふ可き者無きを識らん。
後篇、孟敬子に答へ将に死せんとするの語*2を観るに、此の章の意と一轍 に出づるが若くなれば、則ち此の章、蓋し其の晩年に出でて初年の言に非ざるを知るなり。
然れば則ち曾子一生の学、此の章に之を尽せりと謂ひて可ならん。
先儒、其の嘉言善行の世に尽く伝はらざるを惜しみたるは、亦た深く論語を知れる者に非ざるなり。(論語古義) - 伊藤仁斎
- 此れ曾子此の三者に於いて常々心に忘れし事無く、又た毎日三次、
竦動 興起 し、自ら其の身を省みること此の若し。
蓋し斯の三者は、皆な人の為に苟 にせざる事、曾子此れを以て自ら其の身を省みたれば、則ち古人の身を修めし所以の者、専ら人を愛するを以て本と為せり。
故に其の自ら省みし所の者、亦た人の為にすること在りて、後世の学、外誘を絶ち、思慮を屏 くるを以て、身を省みるの要と為すが如きに非ざるなり。
従ひて知る可し。(論語古義)
語句解説
- 捜尋(そうじん)
- 捜し尋ねる。さがすこと。
- 截然(せつぜん)
- 明確にすること。区別をはっきりとすること。「さいぜん」とも読む。
- 繊毫(せんごう)
- きわめてわずかなこと。細かい毛。
- 艱蹇(かんけん)
- いきなやむこと。
- 勉勉(べんべん)
- 倦まずに勉めるさま。つとめはげむ様。
- 誠切(せいせつ)
- 真心があって親切なこと。
- 些子(さし)
- いささか。
- 査滓(ささい)
- かす。
- 竦動(しょうどう)
- 慎みかしこまること。おどろくこと。竦はつつしみおどろくことで、そのような心情をいう。
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- *1韓文に、子夏の後、田子方有り、子方の後、流れて荘周と為り、又た商瞿及び旰臂子弓、其の後、荀卿と為る(通義・金仁山)
- *2論語泰伯篇「人の将に死なんとするや其の言や善し云々」。曾子は見舞いにきた孟敬子に「暴慢に遠ざかり、信に近づき、背理に遠ざかる」を以て告げた。
- *3板倉勝尚曰く「断金の友に非ずんば、いかでか心事の深きを談らん」と。断金の友ならば、胸襟を開いて己を以て接するべし。