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司馬遷

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史記-列傳[淮陰侯列傳][20]

後数日、蒯通かいつう復た説ひて曰く、
夫れ聴は事のこうなり、計は事の機なり、聴をあやまり計を失ひて能く久安きゅうあんなる者はすくなし。
聴に一二を失はざるは、乱すに言を以てす可からず、計に本末を失はざるは、まぎらすに辞を以てす可からず。
夫れ厮養しようの役に随ふ者は、萬乗ばんじょうの権を失ひ、担石たんせきの禄を守る者は、卿相けいしょうの位をく。
故に知は決の断なり、疑は事の害なり、毫氂ごうりの小計をつまびらかにするは、天下の大数をうしなふ。
智に誠なりて之を知り、決して敢へて行はざれば、百事の禍なり。
故に曰く、猛虎の猶豫ゆうよするは、蜂蠆ほうたいせきを致すに若かず、騏驥きき跼躅きょくちょくするは、駑馬どばの安歩するに如かず、孟賁もうほん狐疑こぎするは、庸夫ようふの必至に如かざるなり。の智有りと雖も、ぎんして言はざるは、瘖聾いんろう指麾しきするに如かざるなりと。
此れ能く之を行ふの貴ぶを言ふ。
夫れ功は成り難くして敗れ易く、時は得難くして失い易し。
時か時か、再び来らず。
願はくば足下の之を詳察せんことを、と。
韓信猶豫して漢にそむくに忍びず、又た自ら以為おもへらく功多く、漢は終に我が斉を奪はずと、終に蒯通に謝す。
蒯通は説を聴かれず、すでにしていつはり狂してと為る。

現代語訳・抄訳

数日後、蒯通は再び韓信に説いて云った。
聴とは事を伺いて実行するに在り、計とは事を察してその機微を見るに在ります。
実行すべきを実行せず、時宜を失いて久しく安んじた者はほとんど居りません。
聴に敏なれば、これを乱すに言を用いることはなく、計に本末有るを知るならば、これを紛らすに辞を用いることはしません。
小務の役に随えば万乗の権を失い、僅かな禄を守ろうと固執すれば卿相の位を失うといいます。
故に知が明なれば事を決して功を成しますが、疑なれば事を害して誤らせ、大事と小事をわきまえずして些細なことばかりに固執しては、天下の大数を失うことになるのです。
この道理をわかっておりながら、敢えて行なわないのだとすれば、百事の禍というべきものでありましょう。
昔からこのように言います。
ためらう猛虎は果敢に刺す蜂に及ばず、駆ける気のない駿馬は安歩する駄馬に及ばない。
疑って心定まらぬ孟賁は必至な凡夫に及ばず、発する意志なき舜禹の智は口耳きけずとも意志を伝える聾唖に及ばないと。
これらはどれも実行の大事を述べているのです。
功は成り難くして敗れ易く、時は得難くして失い易しとも言います。
今こそが好機なのです、このような時は再び来ることはありません。
願はくばよくよくお考えになって決断なさることを、と。
それでも韓信は躊躇して漢に背くことを決することができず、また、自分の功は多大であって漢も我が領地である斉を奪うことはないであろうと考え、蒯通の進言を退けることにした。
自分の献策が用いられなかった蒯通は狂人の如くに振舞って巫に身をやつした。

出典・参考・引用
司馬遷著・田岡嶺雲訳注「和訳史記列伝」265/337,太田才次郎著「史記列伝講義」第4巻25/171
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語句解説

侯(こう)
うかがう。動静をうかがうという意がある。
久安(きゅうあん)
いつまでも安泰であること。
厮養(しよう)
馬の世話などの雑役をする者のこと。従者、使役の者。
担石(たんせき)
小禄。微量であること。
卿相(けいしょう)
執政。天子を助けて政治を行う大臣のこと。
毫氂(ごうり)
きわめてわずか。
猶豫(ゆうよ)
猶予。ためらうこと。
蜂蠆(ほうたい)
ハチのこと。
螫(せき)
ハリで刺すこと。虫の毒。
騏驥(きき)
すぐれた馬。千里の馬。
跼躅(きょくちょく)
行き悩むこと。
駑馬(どば)
歩みの鈍い馬。のろまな馬。
孟賁(もうほん)
孟賁。古の勇者。生きている牛の角を引き抜いたとされる。
狐疑(こぎ)
疑い深く心が定まらないこと。
舜(しゅん)
舜。虞舜。伝説上の聖王。その孝敬より推挙され、やがて尭に帝位を禅譲されて世を治めた。後に帝位を禹に禅譲。
禹(う)
禹。夏王朝の始祖で伝説の聖王。父の業を継いで黄河の治水にあたり、十三年間家の前を通っても入らなかった。後、舜に禅譲されて王となる。
吟(ぎん)
どもる意がある。
瘖聾(いんろう)
口と耳の障害。
指麾(しき)
指揮。麾は「さしまねく」「はた」の意。
韓信(かんしん)
韓信。前漢の武将で劉邦の覇業に貢献。漢の三傑。大将軍。項羽亡き後、楚の王となるも粛清された。大志を抱き、些細な恥辱にはこだわらなかった様を伝える「韓信の股くぐり」は有名。
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