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劉安

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淮南子-原道訓[7-8]

萬物は生ずる所有りて、獨り其の根に守るを知り、百事に出づる所有りて、獨り其の門に守るを知る。
故に無窮を窮め、無極を極め、物を照してまどはず、きょうおうじて乏しからず、此れを之れ天解と謂ふ。
故に道を得る者は志弱くして事強く、心虚にしておうに当る。
所謂いわゆる志弱くして事強き者は、柔毳じゅうぜい安静、敢へてせざるにあそび、能くせざるに行ひ、恬然てんぜんとしてりょ無く、動きて時を失はず、萬物と回周旋転かいしゅうせんてんし、先づ唱ふるを為さず、感じて之に應ずるなり。
是の故に貴き者は必ず賤を以て号と為し、而して高き者は必ず下を以て基と為す。
小に託して以て大をね、中に在りて以て外を制し、柔に行きてしかも剛、弱を用ひて而も強、転化てんか推移し、一の道を得て、而して少きを以て多きを正す。
所謂いわゆる其の事強き者は、変に遭ひそつに應じ、かんを排し難をふせぎ、力は勝たざる無く、敵を凌がざる無く、化に應じ時にはかり、能く之を害するし。
是の故に剛を欲する者は、必ず柔を以て之を守り、強きを欲する者は、必ず弱を以て之を保つ。
柔を積まば則ち剛、弱を積まば則ち強、其の積みし所を観て、以て禍福のきょうを知る。
強きは己に若かざる者に勝ち、己に若く者に至りては同じ。
柔なるは己に出づる者に勝ち、其の力は量る可からざるなり。
故に兵強ければ則ち滅し、木強ければ則ち折れ、革固ければ則ち裂け、歯は舌より堅きも之より先にやぶる。
是の故に柔弱なる者は生の幹なり、而して堅強なる者は死の徒なり。
先づ唱ふる者は窮するの路なり、後に動きし者は達するの原なり。
何を以てか其の然るを知るや。
凡そ人の中寿は七十歳、然り而して趨舍すうしゃ指湊しそうは、日を以て月に悔ゆるや、以て死に至る。
故に蘧伯玉きょはくぎょくは年五十にして四十九年の非を知る。
何となれば、先なる者は知を為し難く、而して後なる者は攻を為し易ければなり。
先なる者の高きに上らば、則ち後なる者は之をじり、先なる者のひくきにゆらば、則ち後なる者は之をみ、先なる者の隤陥たいかんせれば、則ち後なる者は以て謀り、先なる者の敗績はいせきせれば、則ち後なる者は以て之をく。
此に由りて之を観れば、先なる者は則ち後なる者の弓矢の質的しつてきなり。
猶ほとんと刃のごとくにして、刃の難を犯して錞の患なきは、何ぞや。
其の後位に託するを以てなり。
此れ俗世庸民ようみんの公見する所なりて、而も賢知なる者も避くる能はざるなり。
所謂いわゆる後なる者は、其のていたいして発せず、凝結ぎょうけつして流れざるを謂ふに非ず、其の数にととのうて時に合するを貴ぶなり。
夫れ道理を執りて以て変にぐうさば、先なるも亦た後を制し、後なるも亦た先を制す。
是れ何となれば則ち其の人を制する所以を失はず、人の制する能はざればなり。
時の反側はんそくは、間にそくを容れず、之に先んずれば則ちはなはだ過ぎ、之に後るれば則ちおよばず。
夫れ日回りて月周り、時は人と遊ばず、故に聖人は尺璧せきへきを貴ばずして、すんの陰を重んずるは、時は得難くして失い易ければなり。
の時におもむくや、うしなひて取らず、かんけて顧みざるは、其の先を争ふに非ざるなりて、其の時を得るを争ふなり。
是の故に聖人は清道を守りて雌節しせつを抱き、因循いんじゅん*1して変に應じ、常に後にして先せず。
柔弱にして以て静、舒安じょあんにして以て定、大をおさめ堅をし、能く之と争ふ莫し。

現代語訳・抄訳

万物生成の理は、動かさざるべき根本を知り、流れに応ずべき所有るも妄りにせざるを知る。
故に無窮なるを窮め、無極なるを極め、事物を明らかにして惑わず、その化育は留まらず、これ天下の大道である。
故に道を得る者は志弱くして事強く、心は虚にして全てを容る。
いわゆる志弱くして事強しとは、静にして和するのである。
あえて競うことなく、強いて為すことなく、恬淡虚無なりて妄りに動きて時を失わず、万物生成の理に順いて共に往き、先んじて妄りに発することなく、感じて遂に通ずるに至る。
この故に貴きは必ず賤を以て号とし、高きは必ず下を以て基と為す。
小に居るも大を容れ、中に在りて外を制し、柔にして剛、弱にして強、事に応じて変化窮まり無く、道は一にして全てを統ぶ。
いわゆる其の事強しとは、変に遇えばにわかに応じて患いを除き難を防ぎ、力は勝たざること無く、敵を凌がざること無く、変化に応じて時を見定めるが故に誰も害することはできないのである。
この故に剛を欲すれば必ず柔を以て守るべきを知り、強きを欲すれば必ず弱を以て保つべきを知らねばならない。
真に剛なるは柔を積むが故であり、真に強なるは弱を積みし故である。
その積みし所を観れば、自ずと禍福終始の生ずる所以を察することができるであろう。
強きは己に及ばぬ者に勝つも、己に及びし者に対すれば勝たざることも有るが、柔なればたとえ剛強なる者であろうとも必ず勝つに至る。
柔なれば深く蔵して虚の如く、その力は表面に顕われざるが故に到底量り知ることはできないのである。
故に国家在りて兵強かろうともそれだけではいずれ滅するし、木在りて剛木なろうとも風に逆らい続ければいずれは折れ、革在りて如何に固かろうとも引っ張り続ければ裂けるに至り、歯は舌よりも堅きものなれども朽ちるのは必ず歯が先なのである。
この故に柔弱というものは生の根幹なりてそこに安んじて精根生ずるも、堅強というものは精を用いて尽さざるを得ないが故に死に向かえし者であると云える。
先んじて唱える者は窮するの路であり、後れて動きし者は達するの原であると云う。
なぜ斯様な言葉が存するのであろうか。
凡そ人の寿命たるや七十歳、人は日々に言行動静ありて、やがてその非を悔いるも、死に至りし頃なるが関の山である。
蘧伯玉は年五十にして四十九年の非を知ると云った。
なぜかといえば、先んずる者は知を為し難く、後れし者は修め易きが故である。
先んずる者が高きに在らば後れし者はそこを目指せば善いし、先んずる者が低きを越えて往けば後れし者も又これを越えて往けば善い。
先んずる者が陥らば後れし者はその所以に学べば善いし、先んずる者が敗れてしまえば後れし者はそれを回避するように動けば善い。
このように考えてゆけば、先んずる者は後れし者の弓矢の的のようなものであり、先と後は刃と柄の如きものである。
刃は危険なるものなれども柄にはその患いを存しない、この所以は何であろうか。
それは先に難ありて後に安んずる所あるが故なのである。
この道理は誰しもが察して居ることであって、如何なる賢知であろうとも決して避けることはできない。
いわゆる後れし者というのは、単に底に滞留して発せず、凝結して流れざることを云う訳ではない。
ただ、数を察して時宜を得て、自らで命を運ぶを貴ぶのである。
もしも道理に由りて変遷と共に自らが在れば、先なろうとも後なろうとも行き着く先は一である。
なぜかと謂えば、道理が存するが故に人を制する所以を失うことなく、また、道理に由れば誰もこれを制することが出来ぬからである。
時の流転は変化極まり無く迅速であって、智力を尽すも先ならんとすれば過分となり後ならんとすれば不及となってしまう。
日々流れて月もまた流れ、時は人を待たず、故に聖人は大なる宝玉を貴ばずして、わずかなる光陰を重んずる。
此れ時は得難くして失い易しなるが故である。
禹は時の大事を知りて履物が脱げるも取らず、冠が掛かろうとも顧みず、これは先なるを争うに非ずして、わずかな時をも惜しんだのである。
この故に聖人は静にして和し、柔弱を内に存し、道理に従ひて変遷に応じ、常に後なるを旨として先なるを慎むのである。
柔弱なるは静に居る所以であり、人は安んじて始めて定まるを知り、大を内に蔵し堅を磨きて時宜を待つ、是れ自然と己のままに導きて争う所以すら生じないのである。

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語句解説

響応(きょうおう)
すぐに応じて行動を起こすこと。声に応じて響きが起るように、一つのことに多くの人が応じること。
柔毳(じゅうぜい)
どちらも「やわらかい」の意。
恬然(てんぜん)
安らかでのんびりとしている様。動揺せずに平然としている様子。
回周旋転(かいしゅうせんてん)
めぐりまわる。どれも「まわる」の意。
転化(てんか)
かわる。他の状態に移り変わっていくこと。
趨舍(すうしゃ)
おもむくととどまる。行止。
指湊(しそう)
行止。指は「さしずする」の意。湊は「いたる」「おもむく」の意。
攀(よ)
よじのぼる。たよる。ちからとする。
隤陥(たいかん)
陥る。罠などにおちいること。陥には「おとしあな」「わなにかかる」という意味がある。
敗績(はいせき)
敗戦。大敗すること。失敗すること。
質的(しつてき)
的。弓の的。また、量的の反対で内容、性質に関した様子を意味する場合もある。
錞(とん)
石突き。刀の鞘尻やそれをつつむ金具のこと。槍や長刀などの柄の末端やそこについている金具。
庸民(ようみん)
凡庸な民。
耦(ぐう)
二人並んで耕す意。ともがら。
反側(はんそく)
寝返りをうつ。右往左往して落ち着かない様。裏切る。
尺璧(せきへき)
直径一尺もある大きな宝玉のこと。
禹(う)
禹。夏王朝の始祖で伝説の聖王。父の業を継いで黄河の治水にあたり、十三年間家の前を通っても入らなかった。後、舜に禅譲されて王となる。
履(くつ)
木や布でつくったくつ。のち、はきものの総称。
雌節(しせつ)
従順の徳。雌は柔弱なりとある。
舒安(じょあん)
安らか。舒は「ゆるやか」「しずか」「のびやか」の意。
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  • *1因に循う。因は「もと」、循には「したがう」「そう」という意味がある。尚、通常に用いる意味は旧習に従って進歩のないこと、馴れ合いをいうがここでは用いない。

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