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戴聖

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礼記-中庸[12.1]

曰く、
道は人に遠からず。
人の道を為して人に遠きは、以て道と為す可からず。
詩に云う、を伐る柯を伐る、其のり遠からずと。
柯を執りて以て柯を伐る、げいして之を視るも、猶ほ以て遠しと為す。
故に君子は人を以て人を治む、改めて止む。
忠恕ちゅうじょは道をるに遠からず、これを己に施して願はず、亦た人に施す勿れ。
君子の道に四あり、きゅうは未だ一も能はず。
子に求むる所は以て父につかふる、未だ能はざるなり。
臣に求むる所は以て君に事ふる、未だ能はざるなり。
弟に求むる所は以て兄に事ふる、未だ能はざるなり。
朋友に求むる所は先づ之を施す、未だ能はざるなり。
庸徳ようとくの行は、庸言を謹み、足らざる所有らば、敢へて勉めずんばあらず、あまり有らば敢て盡さず。
言には行を顧み、行には言を顧み、君子はなんぞ慥慥爾たらざらん。

現代語訳・抄訳

孔子曰く、
道というものは決して特別なものではない。
人が道と云うて人から遠ざかるが如きは、真に道と呼ぶには足らぬものである。
詩経の伐柯にはこのようにある。
柯を伐る柯を伐る、其の則り遠からずと。
斧の柄に柯を用いて以て柯の枝を伐る、手本とすべきものが手元にありて参考にし易きも、それでも未だ遠きとすべきであろう。
故に君子たれば人を以て人を治め、改めて後に止むのである。
忠恕の志は道と決して離れてはいない、ただ、これを己自身が尽し、決して人に施そうとするものではないのである。
君子たるに四の道があるが、吾は未だその一も満足にできてはいない。
父子の親、君臣の義、長幼の序、朋友の信、どれも未だ当を得るには至らない。
庸なる徳たれば、必ず言もまた庸たらんとし、過不及なくして必ず中庸たるを求めるのである。
言あらば必ず行を省み、行には必ず言を省み、必ず己のあり方を己自身に問う。
君子たらば、どうして自反せぬということがあろうか。

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語句解説

孔子(こうし)
孔子。春秋時代の思想家。儒教の始祖。諸国遊説するも容れられず多数の子弟を教化した。その言行録である論語は有名。
柯(か)
えだ。きのえだ。器の柄。斧の柄にする木のこと。
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