司馬遷
史記-列傳[老子韓非列傳][9-10]
荘子は蒙人なり、名は周。
周は嘗て蒙の
其の学は
故に其の著書十余万言、大抵は
然るに善く書を
其の言は
故に王公大人より能く之を器とせざるなり。
楚の威王、荘周の賢なるを聞き、使をして
荘周、笑ひて楚の使者に謂ひて曰く、
千金は重利にして、
子は
之を養食するに数歳、
是の時に当って、孤豚と為らんと欲すると雖も、
子よ
我れ寧ろ
国を
以て吾が志を快うせん、と。
現代語訳・抄訳
荘子は宋の蒙に生まれ、名を周といい、かつて蒙で漆園の官吏となった。
梁の恵王や斉の宣王と同時代の人である。
その学問といえば深遠にして広大なれども、その根本は老子の流れを組むものであった。
故に其の十余万言にも上ぼる著述には寓話が多く用いられ、漁父、盜跖、烙篋といった篇においては孔子の徒の学説に言及してその過を暴き、仁義禮智すら意識に上ることなき無為自然たる人のあり方を説いて、老子の道を明らかにした。
畏累虚、庚桑楚の篇以下はどれも空言にて事実無きものではあるが、その構成と言辞は玄妙にして事を指しては人情に沿い、以て儒学、墨子の学の過を責めるに、当時の儒墨の徒にこれを反駁できる者は居らなかった。
その文章は自らの思うがままを尽して捉われる所無く、器の如くに定まって居らぬ故に、諸侯や大人たる人々であっても荘子を仕えさせることができなかった。
楚の威王は荘子の賢なるを知り、使者に進物を持たせて宰相として迎え入れんとした。
荘子は使者に対して笑って云った。
賜るところの金銭は大金にして、宰相たるは尊位である。
しかしながら、貴方は郊祭の儀式に用いられる犠牛をご存知であろうか。
犠牛は手厚く養われること数年、やがて煌びやかな美服を着せて先祖を祭る大廟へと入れられる。
この時に当って、卑しき孤豚とならんと願っても遅いのである。
速やかに帰られるが宜しかろう、私の生活を邪魔しないで貰いたい。
貧賤たるとも悠々自適たるが快いのだ。
国君たる者に使役されるようなことは終生せぬ。
吾れは、吾が志の赴くままに生きるのだ、と。
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語句解説
- 漆園(しつえん)
- 漆の園。うるし畑。
- 老子(ろうし)
- 老子。道家の開祖。名は耳,字は聃(たん)。楚の人。その著書である老子は有名。無為自然を旨とし、人の意識にものぼらぬ未然こそが真であると説いた。
- 孔子(こうし)
- 孔子。春秋時代の思想家。儒教の始祖。諸国遊説するも容れられず多数の子弟を教化した。その言行録である論語は有名。
- 詆訿(ていし)
- そしりあばくこと。訿は訐に通ず。
- 畏累虚(あいるいきょ)
- 篇名。言行本の荘子では失われている。畏累という老子の弟子がいたとされる。
- 亢桑子(こうそうし)
- 篇名。庚桑楚の篇であると思われる。
- 剽剥(ひょうはく)
- 文字や言葉で非難すること。
- 宿学(しゅくがく)
- 碩学。深く学んだ人。長年学問を積んだすぐれた学者。以前より名声の高い学者。
- 解免(かいめん)
- いいのがれる。解いて物事を免れること。
- 洸洋(こうよう)
- 水が深く広い様。転じて、学説や議論などが深遠でつかみどころのないこと。博大でとりとめもないこと。
- 自恣(じし)
- 自分の思うがままにすること。
- 卿相(けいしょう)
- 執政。天子を助けて政治を行う大臣のこと。
- 郊祭(こうさい)
- 夏至と冬至の日に天地を祭る儀式。
- 文繍(ぶんしゅう)
- きれいな色の模様や刺繍の入った美しい着物。
- 汚瀆(おどく)
- 水濁。汚れた水溜り。小さなどぶ。
- 羈(き)
- おもがい。たづな。くつわ。馬をつなぎとめるためのひも。手綱。
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