林子平
学則[1]
一、孝悌忠信勇義廉恥の八字よくよく心に記すべし。
孝は親に事ふる道なり。
親に対して不敬不作法の言葉なく不敬不作法の所業なく其の身の行作正直にして親の心を安堵せしむる事なり。
悌は兄を敬ひ弟を愛する道にして且つ長者に順ふ道なり。
兄は云ふに及ばず己より年の増りたる人をば兄同様敬して能く順ふを云ふ、順ふとは行往座臥飲食等に至るまで礼譲を忘れずして順道を守る事なり、亦た年減りたる人をば弟同様に見る事なり。
忠は君に事ふる道にして且つ朋友に交はるに偽なく信義を以てする事なり、己を尽すを忠と云ふ、君に事ひて死するも己を尽すなり、朋友に信あるも己を尽すなり、此の故に士は己を知る者の為に死すと言ふ、都て是れ忠なり。
信は毎事に虚事虚言なく実事を以て旨とする事なり。
上天子より下庶人まで信あらば人服し、信なくば人背く、貴賤となく信を失ふ事なかれ。
勇は義の相手にして勝気の事なり。
文武の諸芸も心術心法も勝気にあらざれば上達成就は遅きなり、勝気は万能の上達する基と知るべし。
義は勇の相手にして裁断の心なり。
道理に任せて決定し猶ほ予せざる心をいふなり、死すべき場にて死し討つべき場にて討つ事なり。
廉はかど有りてひしげず立派なる事なり。
物毎にいさぎよくきれいに正しく、むさくなき心なり、捨つべきをすて取るましきを取らざる類ひなり、恥の相手なり。
恥は辱を知りて手前勝手を致さざる事なり。
毎事に卑怯未練なる所業を致して人に笑はるまじ、穢はしく臆病なる所業有りて他にさげすまるまじと心を清く正しく持つ事なり、廉の相手なり。
右の八徳は人の土嚢なり。
天地をうごかすまではいざしらず、親子の道のしをりとはなれ。
- 出典・参考・引用
- 林子平著・伊勢斎助編「前哲六無斎遺草」50/82
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