曾先之
十八史略-東漢[孝安皇帝][黄憲]
太后崩ず、
憲が父、
憲、年十四たり、
子は吾の師表なり、と。
子が国に顔子有り、と。
閬曰く、
吾が
憲に
其の母曰く、
汝じ復た牛醫の兒より来るか、と。
陳蕃等、
曰く、
叔度は
之を澄ませども清まず、之を
憲、初め
人、其の仕へんことを勧む。
年四十八にして終れり。
現代語訳・抄訳
皇太后が死去した。
皇太后の兄として権勢を振るっていた大将軍
黄憲の父は牛医であった。
黄憲が十四才のとき、
荀淑は一目みた途端にその人物に感じて云った。
あなたは私の理想とする人である、と。
そして
この国には顔子が居る、と。
袁閬は云った。
黄憲に出会ったのか、と。
黄憲と会って帰る毎に、茫然自失とする有様であった。
その様子に戴良の母は云った。
お前はまた牛医の児に会ってきたのか、と。
陳蕃等は互いに語りあって云った。
しばらく黄憲に会わないでいると、
郭泰は云った。
袁閬の器量を譬えてみれば、小さな泉のようなものである。
清らかではあるが浅くて簡単に汲むことができる。
しかしながら、黄憲の器量は広く深い広大なる湖のようで、澄まそうとも澄まず、濁らそうとも濁らないのである。
どれだけのものなのか計り知れないのだ、と。
黄憲は初め
周りの人々は出仕するように勧めた。
黄憲は都へと出向き、しばらくして帰った。
年四十八にして卒したという。
- 出典・参考・引用
- 早稲田大学編輯部編「漢籍国字解全書」(第36-37巻)201-202/306
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語句解説
- 功曹(こうそう)
- 郡の属官で書史を司る。漢代の官名。
- 牛醫(ぎゅうい)
- 牛医。牛の医者。牛医児は軽蔑語。
- 逆旅(げきりょ)
- 旅館。宿屋。旅人を逆(むか)える所の意。
- 竦然(しょうぜん)
- つつしみおそれるさま。恐れてぞっとするさま。
- 師表(しひょう)
- 人の師となり手本となること。学徳などが優れ人々の模範となること。
- 顔回(がんかい)
- 顔回。春秋時代の魯の人。字は子淵で顔淵とも呼ばれる。貧にして道を楽しみ孔子に最も愛された。三十二歳で早世し、後に亜聖と尊称。
- 鄙吝(ひりん)
- いやしき心。度量が小さく心がいやしいこと。品性がいやしいこと。
- 氿濫(きかん)
- 水の小さく湧き出るもの。氿は泉の横穴から出ること。濫は泉の地底から出ること。
- 汪汪(おうおう)
- 深く広い様。水の広々として深く湛える様。
- 孝廉(こうれん)
- 前漢からの官吏任用科目の一つ。各地域から孝行で清廉潔白な人物が推薦されて官吏として採用された。明や清の時代の場合は科挙第一次試験の合格者の別名。
- 京師(けいし)
- 都、天子の居。春秋公羊伝の桓九年に「京師とは天子の居である。京とは大、師とは衆、天子の居は必ず衆大の辞を以てこれを言う」とある。
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