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呂不韋

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呂氏春秋-審応覧第六[具備][2.2]

夫れ宓子ふくし此の術を行ふを得たるや、魯君の後に之を得たるなり。
魯君の後に之を得たるは、宓子に先づ其の備へ有ればなり。
先づ其の備へ有るは、豈ににはかに必せん
此れ魯君の賢なり。
三月の嬰兒えいじ軒冕けんべん前に在るも、欲するを知らざるなり、斧鉞ふえつ後に在るも、にくむを知らざるなり、慈母の愛をさとるは、誠なればなり。
故に誠にしてた誠なれば乃ち情に合し、精にしてた精なれば乃ち天に通ず。
乃ち天に通ずれば、水木石の性、皆な動く可きなり、又た況や血気有る者に於いてをや。
故に凡そぜいと治の務めは誠なるにくは莫し。
言に哀しきを聴くは、其の哭するを見るにかざるなり。
言に怒るを聴くは、其の闘ふを見るに若かざるなり。
説と治に誠ならざれば、其の人心を動かすこと神ならず。

現代語訳・抄訳

宓子ふくしがこの術を行うを得たは、魯君の後にこれを得たのである。
魯君の後にこれを得たのは、宓子ふくしが先にその備えを為したからである。
先ずその備えが有ったからといって、必ずしも成るものであろうか。
これは魯君の賢があったからであろう。
三ヶ月の嬰児は、前に尊位を以てしても欲することはなく、後に斧鉞を以てしても悪むことなどはない。
されども、慈母の愛は自ずから覚る、これは誠あるが故である。
つまり、誠を以て相手の誠に通じて和すれば情に合し、これが相極まれば天に通ず。
天に通ずれば、木石の如くに無情なりとも皆な動くべく、ましてや血気ある人において動かさざるなし。
故におよそ説と治を為すには、誠を以てするに勝るものはないのである。
言葉に哀しきを聴くよりは、実際に哭するのを見るに勝るものはなく、言葉に怒るを聴くよりは、実際に争そうのを見るに勝るものはない。
説と治に誠を存せざれば、人心を動かし自然にして化することなど叶わないのは必然であろう。

出典・参考・引用
藤田剣峯訳註「国訳漢文大成」経子史部・第20巻212/411,塚本哲三編「呂氏春秋」282/404
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備考・解説

「水木石の性」の水の字は誤入とされる。
註に曰く、
「乃ち天に通ずれば水」の五字を衍文とす、と。
註では更に前から合わせて五字を誤入としている。

語句解説

軒冕(けんべん)
大夫以上の身分の者が用いる車と冠のこと。また、大夫の身分の人、身分の高い者。
木石(ぼくせき)
木と石。無情の者。人情を解しない人のたとえ。
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