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呂不韋

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呂氏春秋-審応覧第六[具備][2.1]

宓子賤ふくしせん亶父たんぽを治むるに、魯君の讒人ざんじんを聴きて、而して己をして其の術を行うを得ざらしむるを恐る。
将に辞して行くに、近吏きんり二人を魯君に請ひて、之とともに亶父に至る。
邑吏ゆうりの皆な朝するに、宓子賤、吏二人をして書せしむ。
吏のまさまさに書せんとするに、宓子賤、かたはり時に其の肘を掣搖せいようす。
吏、之を書すること善からず、則ち宓子賤、之が為に怒る。
吏、甚だ之をうれひ、辞して帰するを請ふ。
宓子賤曰く、
子の書は甚だ善からず、子、帰してつとむるべし、と。
二吏は帰して君に報じて、曰く、
宓子が為に書す可からず、と。
君曰く、
何故か、と。
吏對へて曰く、
宓子、臣をして書せしむるに、而して時に臣の肘を掣搖し、書をにくみて甚だ怒る有り、吏は皆な宓子を笑ふ、此れ臣の辞して去りし所以なり、と。
魯君、太息たいそくし歎じて曰く、
宓子は此れを以て寡人かじんの不肖をいさむるなり。
寡人の子を乱し、而して宓子をして其の術を行うを得ざらしむる、必ずしばしば之れ有らん。
二人くば、寡人幾過きかす、と。
遂に愛する所を発して、而して亶父にかしめ、宓子に告げて曰く、
自今じこん以来、亶父は寡人の有るに非ざるなり、子の有るなり。
便すなはち亶父に有る者は、子が之を決すると為さん。
五歳にして其の要を言へ、と。
宓子、つつしんでだくし、乃ち亶父に於いて某術を行ふを得。
三年、巫馬旗ふばき短褐たんかつきゅうへいし、而して亶父に往きて化を観、夜に漁する者の得れば則ち之をつるを見る。
巫馬旗、これを問ひて曰く、
漁するは得んが為なり。
今、子は得て之をつ、なんぞや、と。
對へて曰く、
宓子は人の小魚を取るを欲せざるなり。
舎つる所は小魚なり、と。
巫馬旗帰し、孔子に告げて曰く、
宓子の徳至る。
民をしてくらきに行かしめ、かたはらに厳刑の有るがごとし。
敢へて問う、宓子は何を以て此れに至るか、と。
孔子曰く、
丘は嘗てともに之を言ひて曰く、ここに誠なるや、かしこのっとると。
宓子、必ず亶父に此の術を行ひしなり、と。

現代語訳・抄訳

孔子の門弟であった子賤は魯の哀公に仕えていた。
ある時、子賤は亶父という地を任せられることになった。
任地に赴くにあたって、子賤は哀公が讒言に惑わされて妄りに干渉してくることを恐れ、哀公に近吏二人を任地に共に連れて行くことを願った。
願いが許されて近吏二人と一緒に亶父へと着いた子賤は、任地の役人が皆集まったところで近吏二人に書類を書くように命じた。
二人は命ぜられるままに書き始めたが、子賤は書いているそばから二人の肘を引いたり揺り動かしたりして邪魔をした。
更には二人の書いた書類の字の出来が悪いと言い、二人を大いに叱った。
二人はあまりの理不尽さに帰京を願い出た。
これに子賤が曰く、
君等の字はまったくなっていない。
さっさと帰って励むがよいだろう、と。
戻った二人は哀公に告げて云った。
宓子に仕えては書することすらできませぬ、と。
哀公が曰く、
それはどういうわけか、と。
答えていう。
宓子は私達に書類を書くように命じましたが、書こうとすると肘をおさえて引っ張るのです。
引っ張られてはうまく字を書くことなど適わないのに、宓子はこれを私達が悪いとして怒ります。
近くにいた役人達は宓子を笑っておりました。
このようなことでは仕えることなどできませぬ、と。
これを聞いた哀公は大きく歎息して云った。
宓子がそのようなことを行ったのは、私への戒めのために違いない。
私が安易に口出しして宓子のせんとする政治を乱すことを恐れたのだ。
二人を以てそれとなく知らしめられて居らねば、私は恐らく過ったことであろう、と。
早速、哀公は使者を亶父に遣わし、宓子に告げて云った。
今日より、亶父の地は宓子に全権を委任する。
亶父に起こりしことは全て宓子が全責任をもって決するがよい。
五年経って後にその結果を受けよう、と。
宓子はこれを承諾し、自分の思うがままの政治を実行した。
三年して後、同じ孔子の門弟である巫馬旗が粗末な衣服を纏って亶父へと赴いたが、その風俗の異なりしに驚いた。
巫馬旗は夜に漁する者を見つけ、得た魚を再び放していることを不思議に思って問うた。
漁をして得たのに、どうして再び放しているのか、と。
答えて云う。
宓子は小魚を取ることを快く思いませぬ。
今、放しておったのは全て小魚なのです、と。
孔子のもとへ帰った巫馬旗は、孔子に告げて云った。
宓子の徳は普く行き届いております。
民は闇にあっても節操正しく、まるで傍らに厳刑あるが如くに守ります。
敢えて問いますが、宓子はどのようにして此処に至ったのでありましょうか、と。
孔子曰く、
吾は嘗て宓子と共に語ったことがある。
ここに誠なれば彼処かしこに則ると。
宓子は亶父において此れを行なったのであろう、と。

出典・参考・引用
藤田剣峯訳註「国訳漢文大成」経子史部・第20巻211/411,塚本哲三編「呂氏春秋」280-282/404
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語句解説

太息(たいそく)
大息。深くため息をして嘆くこと。
寡人(かじん)
王侯やその夫人が自分を謙遜していう言葉。
幾過(きか)
幾には「それとなく」という意がある。よって過をそれとなく知らせるといった意味であろう
自今(じこん)
以後。今より後。今後。
短褐(たんかつ)
麻や木綿でつくった丈の短い粗末な服のこと。
裘(きゅう)
獣の毛皮でつくった服。
弊(へい)
いたんでやぶれること。
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