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天野信景

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塩尻-巻之二[26]

書を解する人、大意を省みず只だ句を逐て解するゆえに意却ってつらぬかずと朱子のたまひし。
学者文字を解せは其の書の大意をよく看て解すへき事肝要なり。
亦た故事をのみ求めて道理を外になす人あり、まことに詮なき事を知り度おもひて大体を知らざるは徒なる学問なりけり。
むかし伊勢物かたりの塩尻といふ事を寂蓮法師聞出して信せしを俊成卿さるものしりても何かせん。
只だ富士の山に似たるものにてこそ有らめとおもひて置へしとのたまひしと古き文にも侍る。
今の学者かくれたるを求めて自のみ知りたるやうにおもへるはいと拙し。
凡そ人情、くぐいを貴ひて鶏をいやしむ、にはとりは近ければなり。
蔡邕さいようの論衡を実として秘しけるは当時遠ければなり。
張竦の大玄を観さりしは楊氏と肩をならへし故なりとかや、大方何事も珍らしきを好むはよからぬ人のする事なり。
されは道は五典十義よのつねにありて珍らしき事なし、なんぞあやしきを行ひて一時の声利を貪らんや。

出典・参考・引用
天野信景著・室松岩雄校「塩尻上下巻」(上)22/422
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出典
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語句解説

鵠(こく)
コウノトリ。白鳥の別称。黄鵠、霊異の鳥として扱われる。浩に通じ「大きい」「ひろい」の意になる場合もある。
蔡邕(さいよう)
蔡邕。後漢末の官僚。
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