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司馬遷

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史記-列傳[仲尼弟子列傳][35-48]

端木賜たんぼくしは衛人にして、字は子貢。
孔子よりわかきこと三十一歳。
子貢、利口巧辞こうじなりて、孔子常に其の辞をしりぞく。
問うて曰く、
汝とかいいづれがまさるか、と。
對へて曰く、
賜や何ぞあへて回を望まん。
回や一を聞きて以て十を知る、賜や一を聞いて以て二を知るのみ、と。
子貢、既にすでに業を受け、問うて曰く、
賜は何人なんびとか、と。
孔子曰く、
汝は器なり、と。
曰く、
何の器か、と。
曰く、
瑚璉これんなり、と。
陳子禽ちんしきん、子貢に問うて曰く、
仲尼はいづくにか学ぶや、と。
子貢曰く、
文武の道、未だ地に墜ちず、人に在り。
賢者は其の大なる者を識り、不賢者は其の小なる者を識りて、文武の道の有らざるは莫し。
夫子、いづくにも学ばざらん、而して亦た何の常師かれ有らん、と。
又た問うて曰く、
孔子の是の国にきて必ず其の政を聞く。
之を求むるか、あおがれ之をあたふるか、と。
子貢曰く、
夫子は温良恭倹譲おんりょうきょうけんじょうにして以て之を得ん。
夫子の之を求むるや、其れれ人の之を求むるにことなれり、と。
子貢問うて曰く、
とみおごる無く、貧にしてへつらふ無しは何如いかん、と。
孔子曰く、
可なり。
貧にして道を楽しみ、富みて禮を好むには如かず、と。
田常、乱を斉にさんと欲し、高、国、ほうあんはばかり、故に其の兵を移して以て魯を伐たんと欲す。
孔子之を聞きて、門弟子に謂ひて曰く、
夫れ魯は墳墓ふんぼ処所しょしょ、父母の国、国の危きこと此くの如し。
二三子何為なんすれぞ出づる莫きか、と。
子路、出でんと請ふ、孔子之を止む。
子張、子石、行かんと請ふ、孔子許さず。
子貢、行かんと請ふ、孔子之を許す。
つひに行きて、斉に至り、田常に説うて曰く、
君の魯を伐つは過なり。
夫れ魯は、伐ち難き国なり。
其の城は薄く以てひくく、其の地は狭く以てれ、其の君は愚にして仁ならず、大臣は偽にして用無く、其の士民は又た甲兵の事をにくむ。
此れともに戦ふ可からず。
君は呉を伐つに如かず。
夫れ呉は、城は高く以て厚く、地は広く以て深く、甲は堅く以て新たに、士は選びて以てく。
重器精兵は尽く其の中に在りて、又た明大夫をして之を守らしむ。
此れ伐ち易きなり、と。
田常、忿然ふんぜんと色をして曰く、
子の難しとする所は人の易き所、子の易き所は人の難き所。
而して以てじょうに教うるは何ぞや、と。
子貢曰く、
臣は之を聞く、
うれひの内に在る者は強きを攻め、憂ひの外に在る者は弱きを攻むと。
今、君の憂ひは内に存す。
吾れ聞く、君の三たび封ぜられて三たび成らざる者は、大臣有りて聴かざる者なりと。
今、君の魯を破りて以て斉を広にするは、戦に勝ちて以て主おごり、国破りて以て臣を尊くし、而して君の功はあたらず、則ち交日に主はうとからん。
是れ君、上は主の心を驕らし、下は群臣をほしいままにし、以て大事を成すを求むるは、難し。
夫れ上がきょうなれば則ちに、臣がきょうなれば則ち争ふ。
是れ君、上に主のきゃく有り、下に大臣と交争するなり。
かくの如きは、則ち君の斉に立つは危ふからん。
故に曰く、呉を伐つに如かずと。
呉を伐ちて勝たざれば、人民は外に死し、大臣は内にむなし。
是れ君、上は強臣の敵無く、下は人民の過無く、主は孤にして斉を制する者は唯だ君なり、と。
田常曰く、
善し。
然りと雖も、吾が兵はすですでに魯に加ひ、而るに去って呉にかば、大臣は我を疑はん、奈何いかん、と。
子貢曰く、
君は兵をあんじて伐つ無し、臣請ふ、往きて呉王に使し、之をして魯を救わしめて斉を伐たさん。
君は因つて兵を以て之を迎へよ、と。
田常之を許し、子貢、使して南に呉王にまみふ。
説うて曰く、
臣之を聞く、王者は世を絶たず、覇者は強敵無し、千鈞せんきんの重きも銖両しゅりょうを加へて移ると。
今、万乗の斉を以て千乗の魯をわたくしし、呉に強きを争ふ。
ひそかに王の為に之を危ぶむ。
つ夫れ魯を救ふは、名の顕はれなり。
斉を伐つは、利の大なり。
以て泗上しじょうに諸侯をし、暴斉を誅して以て強晋を服す、利のこれより大なるは莫し。
名は亡魯を存し、実は強斉を困す。
智者は疑はざるなり、と。
呉王曰く、
善し。
然りと雖も、吾れ嘗て越と戦ひ、之を会稽かいけいに棲む。
越王身を苦しめ士を養ひ、我に報ずる心有り。
子よ待て、我は越を伐ちて子を聴かん。
子貢曰く、
越のつよきは魯に過ぎず、呉の強きは斉に過ぎず、王は斉を置きて越を伐つ、則ち斉はすでに魯を平ぐ。
且つ王はまさに亡を存し絶を継ぐを以て名と為す。
夫れ小越を伐ちて強斉を畏るは勇に非ざるなり。
夫れ勇者は難を避けず、仁者はを窮さず、智者は時を失はず、王者は世を絶たず、以て其の義を立つ。
今、越を存して仁を以て諸侯に示し、魯を救ひて斉を伐ち、威を晋国に加へば、諸侯必ず相率ひて呉に朝して、覇業成らん。
且つ王の必ず越をにくまば、臣請ふ、東に越王にまみへ、兵を出さしめて従はせん。
此れ実は越を空しうし、名は諸侯を従へて以て伐つなり、と。
呉王大いによろこび、乃ち子貢をして越にかしむ。
越王、道を除きて郊迎こうげいし、身を御して舎に至り問うて曰く、
此れ蛮夷の国、大夫何を以て儼然げんぜんとしてかたじけなくも之に臨むか、と。
子貢曰く、
今者こんじゃ、吾は呉王を説き以て魯を救ひ斉を伐たんとするも、其の志は之を欲するも越を畏れ、曰く、我が越を伐つを待たば乃ち可なりと。
かくの如くならば、越は必ず破れん。
且つ夫れ人に報ゆるの志無くして人をして之を疑はしむるはせつなり。
人に報ゆるのこころ有りて、人をして之を知らしむるはたいなり。
事の未だ発せずしてせんに聞ゆるは危なり。
三者は事を挙ぐるの大患たいかんなり、と。
句踐、頓首とんしゅ再拝して曰く、
は嘗て力をはからず、乃ち呉と戦ひて、会稽に困し、痛み骨髄に入り、日夜、しんを焦がしぜつを乾かし、だ呉王ときびすを接して死なんと欲す。
孤の願いなり、と。
遂に子貢に問ふ。
子貢曰く、
呉王の人と為りは猛暴なりて、群臣は堪へず、国家はしばしば戦ひてつかれ、士卒は忍びず、百姓は上を怨み、大臣は内に変す。
子胥ししょは諫を以て死し、太宰嚭たいさいひは用を事にし、君の過にしたがひて以て其の私を安んず。
是れ国をそこなふの治なり。
今、王は誠に士卒を発し之をたすけて其の志をむかひ、重宝を以て其の心をよろこばし、卑辞ひじを以て其の禮を尊せば、其の斉を伐つや必するなり。
彼がいくさして勝たずば、王の福なり。
戦して勝たば、必ず兵を以て晋に臨まん。
臣請ふ、北に晋君に見え、共に之を攻めさしむれば、呉の弱するは必せん。
其の鋭兵は斉に尽き、重甲は晋に困し、而して王は其のへいを制さば、此れ呉の滅すること必せん、と。
越王、大いに説び、許諾す。
子貢に金百いつ、剣一、良矛りょうほこ二を送る。
子貢受けず、遂に行く。
呉王に報じて曰く、
臣、つつしみて以て大王の言を越王に告げ、越王大いに恐れて曰く、孤は不幸にしてわかくに先人を失ひ、内は自らはからず、罪を呉にあたり、軍は敗れて身は辱し、会稽に棲みて、国は虚莽きょもうと為る。
大王の賜に頼り、俎豆そとうを奉じて祭祀を修むるを得、死すとも敢えて忘れず、何の謀をれ敢えておもんばからん、と。
後五日、越は大夫の種を使はし頓首して呉王に言はしめて曰く、
東海の役臣、孤、句踐の使者なる臣種、敢て下吏かりを修めて左右に問ふ。
今、ひそかに聞くに大王は将に大義を興し、強きを誅して弱きを救ひ、暴斉を困しめて周室をすと。
請ふ、ことごとく境内の士卒三千人を起こし、孤請ふに自ら堅を被り鋭を執り、以て先に矢石を受けん。
越の賤臣種に因りて先人の蔵器、甲二十領、、屈盧の矛、歩光の剣を奉じ、以て軍吏に賀す、と。
呉王大いによろこび、以て子貢に告げて曰く、
越王は身を寡人かじんに従ひて斉を伐たんと欲す、可ならんか、と。
子貢曰く、
不可なり。
夫れ人の国を空しうし、人の衆をことごとくし、又た其の君を従ふるは、不義なり。
君は其の幣を受け、其の師を許して、而して其の君を辞せよ、と。
呉王、許諾し、乃ち越王を謝す。
是に於いて呉王乃ち遂に九群の兵を発して斉を伐つ。
子貢因りて去りて晋にき、晋君に謂ひて曰く、
臣之を聞く、りょの先づ定まらざるは以て卒に応ず可からず、兵の先づ弁ぜざるは以て敵に勝つ可からずと。
今、夫れ斉と呉はまさに戦ひ、彼戦ひて勝たずんば、越之を乱るや必せん。
斉と戦ひて勝たば、必ず其の兵を以て晋に臨む、と。
晋君大いに恐れて曰く、
之を奈何いかに為す、と。
子貢曰く、
兵を修めて卒を休し以て之を待つ、と。
晋君、許諾す。
子貢去りて魯にく。
呉王、果たして斉人と艾陵がいりょうに戦ひ、大いに斉の師を破り、七将軍の兵を獲て帰らず。
果たして兵を以て晋に臨み、晋人と黄池こうちの上に相遇ふ。
呉晋強きを争う。
晋人之を撃ち、大いに呉の師を敗る。
越王之を聞き、江をわたりて呉を襲ひ、城を去ること七里にして軍す。
呉王之を聞き、晋を去りて帰し、越と五湖に戦ふ。
三戦して勝たず、城門守れず、越、遂に王宮を囲み、夫差を殺して其の相をりくす。
呉破りて三年、東向して覇たり。
故に子貢の一たび出づるや、魯存し、斉乱れ、呉破れ、晋を強にし越を覇とす。
子貢の一たび使たるや、勢をして相破らしめ、十年の中、五国に各変有り。
子貢廃学はいがくを好み、時に貨貲かしを転す。
喜んで人の美をげ、人の過をかくす能はず。
かつて魯、衛に相たりて、家に千金を累し、つひに斉に終る。

現代語訳・抄訳

端木賜は衛に生まれ、字を子貢といった。
孔子よりも三十一歳若かったという。
子貢は才覚溢れて弁舌に優れていたので、孔子は常に其の巧辞を戒めていた。
ある時、孔子が子貢に問うた。
お前と顔回とはどちらが優れているとおもうか、と。
子貢が答えて云った。
私如きがどうして顔回と比べられましょうか。
顔回は一を聞いて十を知るが如くに物事の真を見定めることができますが、私ではせいぜい二を知るが如きで、ほんの表面的な部分までしか悟ることができません、と。
既に官職に就いていた子貢が孔子に問うた。
私の人を例えるならば何でしょうか、と。
孔子が云った。
お前は器であろう、と。
曰く、
何の器でしょうか、と。
曰く、
あの立派に装飾された瑚璉であろうか、と。
ある時、陳子禽が子貢に聞いた。
孔子という人は誰に学んできたのでしょうか、と。
子貢は云った。
古の文王、武王によって導かれた徳化は未だ消え去ってはおらず、各々の中に残っています。
賢者はその大いなる部分を感じとり、賢者ならずとも多少は識っている訳です。
だから、先生は誰に学んだということではなく、各々に存するその文武の道から学んでいるのです、と。
再び陳子禽が聞いた。
孔子が各国を周ると必ず政治の相談をされているようだが、自ら求めて政治に関わっているのか、それとも人君の方から招かれているのか、と。
子貢が云った。
先生は常日頃より温良恭倹譲であるから求められたのです。
先生が求める部分はそこであって、凡その人が求めるものとは異なるのです、と。
ある時、子貢が孔子に聞いた。
富みて驕ることなく、貧しくして諂うことのないのはどうでしょうか、と。
孔子は云った。
可である。
だが、貧にして悠々自適し、富みて節を忘れぬ者には及ぶべくもない、と。
斉の田常は謀叛を起こしたいと思っていたが、他の有力名族の権力を憚って乱をやめ、その代わりに魯へとその兵を向けようとしていた。
これを知った孔子は門弟に云った。
魯は我が祖先の国、父母の国である。
今、危急存亡の秋であるが、誰か救わんとする者はいないか、と。
子路、子張、子石等が往かんと欲したが、孔子は適任ではないとして退けた。
子貢が往かんと述べると、孔子はそれを許したので、子貢は斉に行って田常に云った。
魯を討つのは過ちです。
魯という国は、城も領地も退廃し、君主は愚、大臣は偽でどうしようもありません。
更には領民に戦意がまったく見られないのです。
此れを攻めるのは愚の骨頂というもので、攻めるならば呉を討つべきなのです。
呉は城も領地も豊穣で、兵士は強堅にして人材も豊富です。
国は栄えて兵は強く、名臣を用いて備えとしているので、討ち易いと言えるでしょう、と。
こう言われた田常は憤然として云った。
貴方の言は難きを易きとし、易きを難きとしていて理解できぬが、私に何を言いたいのであろうか、と。
子貢は云った。
私はこう聞いております「憂いが内にある者は強きを攻め、憂いが外にある者は弱きを攻める」と。
今、君の憂いは斉国内にあるわけです。
私はこうも聞いております「君の三たび封ぜられて三たび成らざる者は、大臣有りて聴かざる者なり」と。
今、もし魯を破って斉が更に広大となれば、戦に勝ったことで主君は驕り、国を破ったことで臣下は更に尊することになりますが、貴方に功が回ってはこないでしょう。
さすれば、日に日に主君を疎んじる心は増してしまうでしょう。
すなわち、主君の心を驕らして他の臣の思うがままにさせてしまうことは、大事を成すことを難しくする訳です。
上の者が驕れば下は好き放題にしますし、臣が驕れば互いに争うようになります。
上は主君に隙があり、下は大臣と相争う、これでは貴方の斉を牛耳る志は危いと言わざるを得ないですから、強き呉を討つ方が良いと申し上げるのです。
もし呉を討って勝たなくとも、人民は外で死に、大臣は内で空しくなるばかりですから、貴方にとっては上に権力を持つ大臣が減りますし、下には人民の怨嗟が主君へと向いていますから事を成すのに都合よく、主君は孤立して斉を制する力を持つのは貴方のみとなるのです、と。
これを聞いた田常が云った。
確かに善いが、既に兵を魯へと向かわせた以上、今から呉へと行かせては大臣共が我を疑うであろう、と。
子貢は云った。
何も案じることはありません。
私が呉王への使者となって魯に救援を出させて斉を討たせましょう。
貴方は兵を以てこれを迎え撃てばよいでしょう、と。
田常はこれを許して子貢を呉王のもとへと向かわせた。
呉王に謁見した子貢が云う。
私はこう聞いています「王者は世を絶たず、覇者は強敵無し、千鈞の重きも銖両を加へて移る」と。
今、強国の斉が小国の魯を併呑せんとして、呉に匹敵する国にならんとしています。
これは王にとって危険なことですし、魯を救うことは呉の盛名が更に高まる故になるでしょう。
斉を討つことは呉にとって最善のことなのです。
周辺諸侯を従がえて暴斉を誅し、そして強国の晋を服さしめる、これほど利の大なるはないでしょう。
危き魯を救けることで名が轟き、実利としては斉の弱化となります。
真に世の情勢を知るならば疑うべきことはありません、と。
呉王が云った。
確かに其の通りではある。
ただ、呉の背後には越があり、越王は常々我への報復を誓っておる。
越を討った後にすべきであろうと思う、と。
子貢が云った。
越は魯よりも多少強い程度で、呉も斉より多少勝っている程度でしょう。
それなのに王は斉をそのままにして越を討とうとしています。
斉はその間に魯を併呑するでしょう。
王はまさに「亡を存して絶を継ぐ」ということを行っている訳で、小越を討って強斉を畏れるのは勇がないと言わざるを得ません。
大体、勇者というものは難を避けず、仁者というものは困窮しているものを助け、智者というものは時宜を掴み、王者は世を絶たずして其の義を立てるものなのです。
今、仇敵である越を存して仁を諸侯に示し、魯を救けて斉を討ちてその威を晋に示せば、諸侯は必ずや呉に帰朝して覇業は達成されるでしょう。
もし、どうしても越が気になるのならば、私が越王に謁見して呉に従軍させてみせましょう。
これは実利としては越を空しうし、名声を諸侯に示して討つことになります、と。
呉王は喜んで子貢を越へと派遣した。
子貢の来訪を知った越王は丁重に迎え、共に宿舎に入って子貢に問うた。
このような辺境へとよく参られましたが、どのような件であろうか、と。
子貢は云った。
今、私は呉王を説き伏せて斉を討たせ、魯を救わんとしているのですが、斉を討つ気持ちはあっても越を畏れて、「越を討った後にて斉を討とう」と申しております。
このままでは越は必ず破れることになるでしょう。
大体において、人に報いる志が無いのに人に期待を抱かせるのは拙であり、人に報いる気持ちがあって、それをそのまま知らせてしまうのは殆であり、事が未だに実行されぬ前からそれが聞こえてくるのは危であります。
この三者は事を成す場合の大患と呼ぶべきものです、と。
句踐が頓首再拝して云った。
私は嘗て自らの力を恃んで呉と戦い、今、会稽に困窮してその恨みは骨髄に徹し、日夜身を苦しめて、徒に呉王を殺せれば己も死んでも良いとまで思いつめております、と。
そして子貢にどうすればよいか問うた。
子貢が答えて云う。
呉王の人となりは猛暴で周りの臣は恐々とし、国家は戦続きで疲弊し、士卒も百姓も心は離反し、大臣は内部で奔走するばかりです。
伍子胥は諫言して死を賜り、太宰の伯嚭が権勢を振い、主君が過するとも順がうばかりで自らの保身に暇がありません。
将に国を亡ぼす治と呼べるでしょう。
今、越王には兵を発して斉の討伐を助けて其の志を向かわせ、財宝を送って其の心を悦ばし、おだてて其の礼を尊く思わせれば、斉へと心を向けることは確実です。
それで呉が勝たねば越にとっては福であり、勝ったとしても必ず晋をも狙うことでしょう。
私が晋君に謁見して共に呉を攻めさせれば、呉は必ず弱体化するはずです。
精兵は斉で尽き、重甲は晋で困窮し、さすれば王は其の疲れを制すればよいのですから、必ずや呉を滅ぼすことができるでしょう、と。
越王は大変喜んで承諾し、子貢に贈り物をしたが子貢は受けずに呉へと戻った。
そして呉王に云った。
大王の言を越王に申し上げたところ、大いに畏れて「若くして父を亡くして自らを見失って呉と戦ってしまい、今、我は敗れて身は会稽に及び、国は衰亡してしまった。それでも大王の恩賜によって先祖の祭をすることができる。この恩は死すとも忘れるものではない。どうして反旗を翻すことがあろうか」と。
この五日後、越は大夫の種を使わして敬意を払って呉王に云った。
東海の役臣たる私、句踐の使者たる臣の種は、敢えて下吏を集めて問うたところ「大王は大義を興して強きを誅し、弱きを救い、暴斉を懲らしめて周王朝の威を回復せんとしている」と聞きました。
願わくば、我が越の士卒三千人を以て従軍し、私自ら甲冑を纏い、矛を執って先陣に立ちましょう。
越の賤臣である種に先祖の蔵器である甲二十領と斧、名矛の屈盧、名剣の歩光を持たせて奉じ、出陣を賀します、と。
これを聞いた呉王は喜んで子貢に云った。
越王自ら従って斉を討たんと謂うが、どうであろうか、と。
子貢が云った。
それはいけません。
人の国を空しうし、人の衆を引きつれ、更に其の君まで従がえるのは不義です。
進呈の物、士卒は受けて其の君の従軍はお断りしたほうがよいでしょう、と。
呉王はこれを承諾して越王の自らの従軍は断った。
そして呉の大軍を発して斉へと向かった。
子貢は呉を去って晋に行き、晋君に謁見して云った。
私はこう聞いております「慮の先ず定まらぬは以て卒に応ずべからず、兵の先ず弁ぜざるは以て敵に勝つべからず」と。
今、斉と呉は互いに戦わんとしていますが、呉が負けることになれば必ずや越が反旗を翻しましょう。
もし、呉が勝ったすれば、その兵を晋へと向けてくるのは必定です、と。
晋君が恐れて云った。
ではどうしたらよいであろうか、と。
子貢曰く、
兵を整えて英気を養い、呉の侵攻を待てばよいでしょう、と。
晋君はこれを承諾してその通りにした。
子貢は晋を去って魯へと向かった。
呉と斉は艾陵で戦い、呉は大いに斉を破ったが、そのまま晋へと侵攻して黄池の上にて合戦を行い、呉は大敗した。
越王は呉の敗北を聞くと、すぐさま呉へと侵攻を開始し、やがて急変を知って戻った呉王と五湖にて戦った。
呉は三度戦って三度とも勝てず、滅亡して呉王の夫差は殺された。
越は呉を滅ぼしてから三年後、中原へと進出して覇者となった。
このようにして子貢が一たび世に現れると、危機に瀕した魯は存し、強国であった斉は乱れ、覇権を争った呉は滅び、晋は強国となり、越は覇者となった。
子貢が一たび使者としてその弁舌を振るうと、勢いのある者同士を互いに破らせ、十年の間に五カ国それぞれに変化をもたらした。
子貢は貨殖を好み、相場に優れていた。
また、人の美を揚げることを喜びもしたが、人の過に気を留めないだけの大度は持ち得なかった。
嘗て魯と衛の宰相となり、家には莫大な財産を蓄えて斉で没したという。

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語句解説

子貢(しこう)
子貢。春秋時代の衛の学者。端木賜、字は子貢。孔門十哲の一人。利殖に長け弁舌に優れる。孔子には「往を告げて来を知る者なり」と評された。
巧辞(こうじ)
巧言。巧みに言いまわすこと。言葉を飾って巧みに言うこと。
黜(ちゅつ)
おとす。しりぞける。のぞく。目立たなくする。注釈には叱りて戒むとある。
顔回(がんかい)
顔回。春秋時代の魯の人。字は子淵で顔淵とも呼ばれる。貧にして道を楽しみ孔子に最も愛された。三十二歳で早世し、後に亜聖と尊称。
瑚璉(これん)
宗廟の祭祀に用いる重器。きびやあわを備え、宝石で飾られる器。この場合は立派な器ではあるが、器はやはり器であるという意を含むとされる。
文武(ぶんぶ)
周の始祖である文王と武王のこと。
二三子(にさんし)
目上の人や先生が数人に対して呼びかける言葉。お前たちの意。
子路(しろ)
子路。春秋時代の魯の学者。仲由。孔門十哲の一人。政事にも優れ直情にして勇あり。魯や衛に仕えたが最期は衛に乱が起り非業の死を遂げた。
子張(しちょう)
子張。春秋時代の陳の人。孔子の門人。名は師。孔子には「師や過ぎたり」と称された。才気溢れるも仁ならざる人物であったとされる。
甲兵(こうへい)
武装した兵士。よろいと武器。また、戦争の意にも用いる。
忿然(ふんぜん)
怒るさま。激しく怒る様子。
卻(きゃく)
却の異体字。隙に通ず。
鈞(きん)
重量の単位で一鈞は三十斤。
銖両(しゅりょう)
少しばかりのめかた。わずかであること。銖は重さの単位で周代では0.67kg。わずかなという意をもつ。
泗上(しじょう)
泗水のほとり。
約(やく)
困約する者の意。困窮。
郊迎(こうげい)
町はずれまで出向いて迎えること。
儼然(げんぜん)
厳然に同じ。態度などが厳かな様。
今者(こんじゃ)
現在、近頃の意。者は時をあらわす語に付属する助辞。
殆(たい)
あやういこと。
頓首(とんしゅ)
頭を地面に打ちつけるようにしてする敬礼のこと。後に上表や書簡の最後につけて敬意を表すことばになった。
孤(こ)
ひとりぼっちである様。みなしご。また、王侯などの謙称にも用いられる。
伍子胥(ごししょ)
伍子胥。春秋時代の呉の重臣。名は員。孫武と共に呉王・闔閭を補佐。その名は天下に轟き、呉は躍進を遂げ隆盛したが、夫差の代となり讒言によって死す。
太宰嚭(たいさいひ)
太宰嚭。春秋時代の呉の武将。呉の重臣であったが賄賂を得て越と密通したとされる。
徼(きょう)
無理に求める。
卑辞(ひじ)
辞をひくうする。
鎰(いつ)
昔の金の重さの単位。二十両、または二十四両。
虚莽(きょもう)
廃墟となって草むらでおおわれた状態。
俎豆(そとう)
祭祀の供え物。供え物をのせる台と食べ物を盛る長い脚のついた器(たかつき)。
下吏(かり)
下役人。位のひくい役人。
鈇(ふ)
斧のこと。
寡人(かじん)
王侯やその夫人が自分を謙遜していう言葉。
廃学(はいがく)
財を貯えること。
貨貲(かし)
物品。商品。事業のもとになる金や材料。
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子張
孔子の門人。紀元前503年に生まれたとされるが、没年は不詳。名は師…
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