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司馬遷

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史記-列傳[仲尼弟子列傳][51-55]

卜商ぼくしょう、字は子夏。
孔子よりわかきこと四十四歳。
子夏問ふ、
巧笑倩こうしょうせんたり、美目盼びもくはんたり、素以てあやを為すとは、何の謂いぞや、と。
子曰く、
絵の事は素より後にす、と。
曰く、
禮は後か、と。
孔子曰く、
商、始めてともに詩を言うべし、と。
子貢しこう問ふ、
師と商といづれかまされる、と。
子曰く、
師は過なり、商は及ばず、と。
曰く、
しからば則ち師はまされるか、と。
曰く、
過ぎたるは猶及ばざるがごとし、と。
子の子夏に謂ひて曰く、
汝、君子の儒たれ、小人の儒と為る無かれ、と。
孔子既に没し、子夏は西河に居りて教授し、魏の文侯の師と為る。
其の子死し、之を哭して明を失ふ。

現代語訳・抄訳

卜商は字を子夏といった。
孔子よりも四十四歳若かったという。
ある時、子夏が孔子に聞いた。
「巧笑倩たり、美目盼たり、素以て絢を為す」とは何を謂っているのでしょうか、と。
孔子が云った。
絵事後素の意である、と。
これを聞いた子夏が云った。
それでは礼は後ということでしょうか、と。
これに孔子は喜んで云った。
商が居ってこそ共に詩を語り合うことが出来るというものだ、と。
ある時、子貢が孔子に聞いた。
子張と子夏はどちらが優れているのでしょうか、と。
孔子曰く、
子張はあまりに過ぎ、子夏はまだまだ足らない、と。
子貢は聞いた。
では、子張の方が優れているということでしょうか、と。
孔子曰く、
過ぎたるは猶及ばざるがごとしである、と。
ある時、孔子が子夏に云った。
子夏よ、同じ儒でも君子の儒たれ、小人の儒にはなるな、と。
孔子が没した後、子夏は西河で子弟を教導し、やがて魏の文侯に召されてその師となった。
子夏の子が早くして亡くなった時、涙を流して悲しみ続け、そのせいで目を潰したという。

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語句解説

子夏(しか)
子夏。春秋時代の魏の学者。名は商。孔門十哲の一人。文学に秀でる。孔子に「子夏なればこそ詩を共に語るに足る」と称えられた。
巧笑倩たり(こうしょうせんたり)
笑う口元の愛らしさ。
美目盼たり(びもくはんたり)
美しい目元のすずしさ。
絢(あや)
美しいさま。
子貢(しこう)
子貢。春秋時代の衛の学者。端木賜、字は子貢。孔門十哲の一人。利殖に長け弁舌に優れる。孔子には「往を告げて来を知る者なり」と評された。
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