司馬遷
史記-本紀[高祖本紀][57]
高祖、洛陽の南宮に置きて酒す。
高祖曰く、
列侯諸将敢て朕に隠す無く、皆な其の情を言へ。
吾の天下を
高起、王陵対へて曰く、
陛下は慢にして人を侮り、項羽は仁にして人を愛す。
然るに陛下は人をして城を攻め地を略せしめ、降下する所の者は、
項羽は賢を
高祖曰く、
公は其の一を知りて、未だ其の二を知らず。
夫れ
国家を
百万の兵を連れ、戦へば必ず勝ち、攻むれば必ず取るは、吾は韓信に如かず。
此の三者は皆な人傑なり。
吾は能く之を用ゆ、此れ吾が天下を取りし所以なり。
項羽は一の
現代語訳・抄訳
項羽を倒して天下をほぼ手中に収めた劉邦は、洛陽の南宮において酒宴を開いた。
劉邦がふと諸将に云った。
吾が天下を得て、項羽が天下を失った所以は何だろうか。
各々その思うところを忌憚なく述べよ、と。
高起と王陵が答えて云う。
陛下は傲慢で人を侮る癖がありますが、項羽はその士族や病人には非常に優しく礼儀正しいものでした。
しかし、陛下は人を用いて各地を平定し、その功に応じてその地を人に与えましたから、これは天下と利を同じくするものであるといえます。
項羽は賢者を妬んで能ある者を用いられず、功があってもそれに報いることはなく、賢者をも疑い、戦に勝ったとしても自らのものとするばかりで人に与えることはありませんでした。
だから天下を失うことになったのです、と。
これに対して劉邦はこう答えた。
お前達はその一を知ってはいるが、その二をわかっていない。
籌を帷幄の中に運らし勝ちを千里の外に決するような事に関して、吾は張良に到底及ばない。
国家内政、兵站を滞りなく行う才覚に関して、吾は蕭何に到底及ばない。
兵を率いて敵を討ち、城を攻略することに関して、吾は韓信に到底及ばない。
此の三人は当に天下の英傑というに相応しい。
吾はこの三者を思うがままに任せ用いたのである。
これこそ吾が天下を取るに至った所以であろう。
項羽にも范増という英傑がおったが、そのたった一人の人物すらも用いることはできなかった。
これが我の擒となった所以であろう、と。
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語句解説
- 劉邦(りゅうほう)
- 劉邦。前漢の始祖。秦を滅ぼし、項羽と天下を争う。野人なれども不思議と人が懐き、「兵に将たらざるも、将に将たり」と称せられた。
- 項羽(こうう)
- 項羽。秦末の武人。向かうところ連戦連勝、わずか三年にして覇王を称すも劉邦との一戦に敗れて滅亡。四面楚歌の故事は有名。
- 張良(ちょうりょう)
- 張良。前漢建国の功臣。漢の三傑。参謀として劉邦の覇業を輔佐。「謀を帷幄の中にめぐらし勝を千里の外に決す」と称された。漢成立後は恩賞を固辞して留だけを拝領し、政治の一線から退いて暮らしたという。
- 餽饟(きじょう)
- 糧食をおくること。
- 蕭何(しょうか)
- 蕭何。前漢の建国の功臣。物資補給と拠点の関中を治安し、劉邦の覇業を後方で助けた。天下統一後には功績筆頭に挙げられる。漢の礎を築いた大宰相。
- 韓信(かんしん)
- 韓信。前漢の武将で劉邦の覇業に貢献。漢の三傑。大将軍。項羽亡き後、楚の王となるも粛清された。大志を抱き、些細な恥辱にはこだわらなかった様を伝える「韓信の股くぐり」は有名。
- 范増(はんぞう)
- 范増。秦末の人。楚の項羽の参謀として劉邦の覇権に立ちはだかるも、離間の計によって項羽に疑われて離脱。
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