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司馬遷

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史記-本紀[項羽本紀][34]

楚漢久しく相持し未だ決せず、丁壮ていそうは軍旅に苦しみ、老弱ろうじゃく転漕てんそうむ。
項王漢王に謂ひて曰く、
天下匈匈きょうきょうたること数歳なる者は、だ吾が両人を以てのみ。
願はくば漢王と挑戦して、雌雄を決せん。
いたずらに天下の民の父子を苦しむることなかれ、と。
漢王笑ひ謝して曰く、
吾はむしろ智を闘はさん、力を闘はす能はず、と。
項王、壮士に出でしめ挑戦せしむ。
漢に善く騎射する樓煩ろうはんなる者あり、楚、挑戦して三合するも、樓煩、おもむろに之を射して殺す。
項王、大ひに怒り、乃ち自ら甲をこうむり戟を持して挑戦す。
樓煩之を射せんと欲するも、項王の目をいからし之をしつす。
樓煩、目あへて視えず、手敢て発せず、遂に走り還りて壁に入り、敢て復た出でず。
漢王、人をしてうかがひ問はしむれば、乃ち項王なり。
漢王大ひに驚く。
是に於いて項王乃ち漢王にき、相ひとも廣武こうぶの間に臨みて語る。
漢王之をむ、項王怒りて、一戦せんと欲す。
漢王聴かず、項王弩を伏せて射る、漢王にあたる。
漢王傷つき、走りて成皋せいこうに入る。

現代語訳・抄訳

楚と漢は何年も戦いを繰り広げ、人々は兵役に苦しみ、残った者達は兵糧を運搬に疲れていた。
これを憂えた項羽は、劉邦に云った。
天下は幾年も動乱に苦しんでいるが、その大元は我々二人である。
故に我と貴公とで決戦をして、雌雄を決するのがよいと思うがどうだろうか。
いたずらに天下の民を苦しめることもあるまい、と。
劉邦は笑って断って云った。
私は力で雌雄を決するのではなく、智で以て決する方がよいのです、と。
項羽は劉邦の承諾を得ることはできなかったが、自ら言い出した手前引くこともできず、部下の勇猛な者を選別して一騎打ちを申し出た。
そこで劉邦は騎射に優れる樓煩という者を出して弓でさっさと射殺してしまった。
三度出して三度とも射殺された項羽は大いに怒り、遂に自ら甲冑を身に纏って戟を持って突出した。
樓煩はこれを見て射殺そうとしたが、項羽が目をかっと見ひらいて恫喝すると、恐れおののいて項羽を視ることも弓で射ることもできず、一目散に砦の中へと逃げ、遂に再び出てこなかった。
劉邦が何者かと人を遣って調べさせると、果たして項羽であった。
劉邦は大いに驚いた。
ここにおいて項羽は更に進んで劉邦に近づき、広武の間に臨んで挑発した。
劉邦もまた項羽の十罪を数え上げて挑発し、怒った項羽は再び一騎打ちを迫ったが、劉邦はやはり聴きいれなかった。
業を煮やした項羽が、弩を伏せて劉邦を射ると、見事命中した。
負傷した劉邦は走って成皋せいこうの自陣へと入った。

出典・参考・引用
司馬遷著・塚本哲三編「史記」第一181/297,秋山四郎著「項羽」43/77
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語句解説

丁壮(ていそう)
年若い男子のこと。夫役に当たる者。
老弱(ろうじゃく)
老幼。老年と弱年のこと。
転漕(てんそう)
食糧や荷物などの運搬。
項羽(こうう)
項羽。秦末の武人。向かうところ連戦連勝、わずか三年にして覇王を称すも劉邦との一戦に敗れて滅亡。四面楚歌の故事は有名。
劉邦(りゅうほう)
劉邦。前漢の始祖。秦を滅ぼし、項羽と天下を争う。野人なれども不思議と人が懐き、「兵に将たらざるも、将に将たり」と称せられた。
匈匈(きょうきょう)
みだれさわぐ。
瞋(しん)
いかる。目をかっとむく。さかんな様。
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関連リンク

項羽
漢の高祖・劉邦と覇権を争った楚の武将。紀元前232-202年。赴くとこ…
雌雄を決する
戦って勝負をはっきりとつけること。はっきりと優劣を決めること。ど…


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