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司馬遷

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史記-列傳[太史公自序][16]

上大夫壺遂こすい曰く、
昔孔子は何が為に春秋をすや、と。
太史公曰く、
余これを董生とうせいに聞く。
曰く、周道は衰廃し、孔子は魯の司寇しこうと為るに、諸侯これを害し、大夫これをふさぐ。
孔子、言の用いられず、道の行はれざるを知るや、二百四十二年の中を是非し、以て天下の儀表ぎひょうと為し、天子をとがめ、諸侯を退け、大夫を討ち、以て王事を達するのみと。
子曰く、我れ之れを空言くうげんはじめんと欲するも、之れを行事にしめすことの深切しんせつ著名ちょめいなるにかざるなりと。
夫れ春秋は、上に三王さんのうの道を明にし、下に人事ののりを弁じ、嫌疑を別ち、是非を明にし、猶豫ゆうよを定め、善を善とし悪を悪とし、賢を賢とし不肖を賤しみ、亡国を存し、絶世を継ぎ、へいを補ひ廃を起し、王道の大なる者なり。
易は天地陰陽四時五行をあらはす、故に変に長ず。
禮は人倫を経紀けいきす、故に行に長ず。
書は先王の事を記す、故に政に長ず。
詩は山川谿谷けいこく、禽獣草木、牝牡雌雄ひんぼしゆうを記す、故に風に長ず。
楽は立つ所以を楽しむ、故に和に長ず。
春秋は是非を弁ず、故に人を治むるに長ず。
是の故に禮は以て人を節し、楽は以て和を発し、書は以て事をひ、詩は以て意を達し、易は以て化をひ、春秋は以て義をふ。
乱世をおさめ、之を正にかへす、春秋より近きは莫し。
春秋は文に数万を成す、其の指すや数千、万物の散聚さんしゅうは皆な春秋に在り。
春秋の中、君をしいする三十六、国を亡す五十二、諸侯の奔走し其の社稷しゃしょくを保つを得ざる者、数ふるにふべからず。
其の所以を察するに、皆な其の本を失うのみ。
故に易に曰く、之を豪釐ごうりに失する、たがふに千里を以てすと。
故に曰く、臣の君を弑し、子の父を弑する、一旦一夕の故に非ざるなり、其のすすむや久しと。
故に国をたもつ者、以て春秋を知らざるべからず、前にざん有るも見ず、後に賊有るも知らず。
人臣と為る者、以て春秋を知らざるべからず、経事けいじを守りて其のを知らず、変事に遭ふも其の権を知らず。
人の君父と為るも春秋の義に通ぜざる者、必ず首悪しゅあくの名をこうむらん。
人の臣子と為るも春秋の義に通ぜざる者、必ず簒弑さんしの誅、死罪の名を陥らん。
其の実、皆な以て善と為して之を為し、其の義を知らず、之が空言をこうむりて敢て辞さず
夫れ禮義の旨に通ぜざる、君は君たらず、臣は臣たらず、父は父たらず、子は子たらず。
夫れ君が君たらずば則ち犯され、臣が臣たらずば則ち誅せられ、父が父たらずば則ち道無く、子が子たらずば則ち孝ならず。
此の四行は、天下の大過なり。
天下の大過を以て、之にあたふれば、則ち受けて敢て辞さず。
故に春秋なる者、禮儀の大宗たいそうなり。
夫れ禮は未然の前に禁じ、法は已然いぜんの後に施す。
法の用を為す所の者は見ふるに易く、而して禮の禁を為す所の者は知り難し、と。

現代語訳・抄訳

上大夫の壺遂が云った。
昔、孔子は春秋を編纂しましたが何を目指したのでしょうか、と。
太史公が答えて云った。
私は董仲舒にこのように聞いたことがあります。
周の王道が衰廃した頃、孔子は魯の司寇となったけれども、諸侯は孔子を除かんと欲し、魯の大夫は君と孔子の間を塞ぎました。
孔子は言の用いられないこと、自らの理想とする政治が行われないことを知ると、魯の隠公元年より哀公十四年までの二百四十二年を記述してその間における諸侯の得失を是非し、これを天下の儀表として天子・諸侯・大夫その身分に関係なく正すべきを正し、王道に達することを願ったのですと。
また孔子はこのように言っております。
我はこれを空しく言論によって訓を垂れんとしたが、実際の行事に即して褒貶を加える方がより将来への戒めとなるであろうと。
春秋というものは、上には三王の道を明らかにし、下には人のあり方を弁じ、嫌疑を別し、是非を明らかにし、猶予(決せざる)を定め、善悪賢不肖を正し、失われし道を継ぐものであり、つまりは王道の大なるものなのです。
易は天地陰陽四時五行を著して世の順行を明らかにし、禮は人倫を経紀してその行を節し、書は先古の王道を記して政を治め、詩は森羅万象を記してそのありのままの姿を示し、楽は立つ所以を楽みて和し、春秋は是非を弁じて人を治めるものでありますから、禮は人を節し、楽は和を発し、書は事をいい、詩は意を達し、易は化をいい、春秋は義をいうのです。
したがって春秋ほど撥乱反正に近きものはないといえるでしょう。
春秋は数万字の文より成り、指すべきところは数千、万物の散聚は全て春秋に在るといっても過言ではありません。
春秋の中に君を弑する者は三十六、国を亡す者は五十二、妄りに奔走して社稷を失った諸侯に至っては数えきれぬ程おります。
その失いし所以は人の本たる仁義を亡失したことにあるのです。
易には「之を豪釐に失する、差ふに千里を以てす」と記されています。
また「臣の君を弑し、子の父を弑する、一旦一夕の故に非ざるなり、其のすすむや久し」ともいいます。
だから国を有つ者は春秋を知るべきであり、知らなければ目前に阿諛迎合の臣がいても気がつかず、後方に己を害する賊がいてもわかりません。
また、人臣となる者も春秋を知るべきであり、知らなければ常時に守るべき義がわからず、変事に遭ってその身の処し方に惑うことになるのです。
人の君父にして春秋の義に通じて居らねば、必ずや首悪の名を蒙り、人の臣子にして春秋の義に通じて居らねば、必ずや簒弑の誅に遭い、死罪の名に陥ることでしょう。
古来より皆、己は善と思って事を行うものですが、これは義を知らぬからであり、空言を被っても敢て辞さぬのもこの故なのです。
礼義の旨に通ぜざれば、君臣父子、各々その分を尽すことができません。
君が君たらなければ下より犯され、臣が臣たらなければ君に誅せられ、父が父たらなければ道は在せず、子が子たらなければ道を継ぐことができません。
これらを天下の大過というのです。
天下の大過に空言を呈したとて、礼儀のなんたるかを知りませんから敢て辞すことなく受けます。
故に春秋を礼儀の大宗というのです。
礼というものは未然の前に禁じ、法は已然の後に施すものです。
法を知る者はいくらでも居りますが、礼の禁を知る者はなかなか見出すことはできません、と。

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語句解説

司寇(しこう)
刑罰・警察の事を司った周代の官名。六卿(冢宰・司徒・宗伯・司馬・司寇・司空)の一つ。また、五官(司徒・司馬・司寇・司空・司士)の一つという記述もある。
儀表(ぎひょう)
手本。模範。法則。
空言(くうげん)
実行のともなわない議論や文章。根拠のない言葉。
深切(しんせつ)
よくあてはまる。行きとどいて丁寧であること。
著名(ちょめい)
世間に広く知れ渡る様。
三王(さんのう)
中国古代の三人の聖王のことで、夏の禹王・殷の湯王・周の武王(または文王)を指す。
猶豫(ゆうよ)
猶予。ためらうこと。
経紀(けいき)
規律。綱紀。秩序。秩序をたてて治めること。物事の根本的な法則。
散聚(さんしゅう)
集散。離合。集めることと散らすこと。
社稷(しゃしょく)
土地の神と五穀の神のことで国の重要な祭祀のこと。また、国家の意にも用いる。
豪釐(ごうり)
わずかであること。豪釐。
経事(けいじ)
常事。いつものこと。きまっている事柄。
宜(ぎ)
義に同じ。宜しきを義という。本来あるべき状態。
首悪(しゅあく)
第一の悪人。悪人の頭。悪事の首謀者。
簒弑(さんし)
臣下が君主を殺して位を奪うこと。
敢て辞さず(あへてじさず)
趙盾と董狐の故事に代表される。趙盾は君弑すと董狐に書されたが、その罪を辞せずに受けた。
大宗(たいそう)
物事の基礎となるもの。その分野で権威のあるもの。
已然(いぜん)
既成のこと。すでに終わったこと。すでにあらわれてしまった後の状態。
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