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列子

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列子-力命[3.1]

管夷吾かんいご鮑叔牙ほうしゅくがの二人、相友として甚だしたし。
同じく斉に処り、管夷吾は公子糾に事へ、鮑叔牙は公子小白に事ふ。
斉の公族寵多く、嫡庶並び行ひ、国人乱をおそる。
管仲、召忽しょうこつともに公子糾を奉じて魯に奔り、鮑叔、公子小白を奉じてきょに奔る。
既にして公孫無知、乱をおこして、斉に君なく、二公子入るを争ふ。
管夷吾、小白と莒の道に戦ひ、射して小白の帯鉤たいこうあたる。
小白既に立ち、魯を脅して子糾を殺し、召忽之に死し、管夷吾は囚をこうむる。
鮑叔牙、桓公に謂ひて曰く、
管夷吾の能、以て国を治む可し、と。
桓公曰く、
我が仇なり、願はくば之を殺さん、と。
鮑叔牙曰く、
吾聞くに賢君は私怨無し、つ人能く其の主の為にす、亦た必ず能く人の為にせん。
し覇王たらんと欲せば、夷吾に非ざれば其れ可ならず、君必ず之をゆるせ、と。
遂に管仲を召し、魯之を斉に帰すに、鮑叔牙は郊近して其の囚を釈く。
桓公之を禮して高国の上に位し、鮑叔牙は身を以て之に下り、任ずるに国政を以てす。
号して曰く、仲父と。
桓公遂に覇たり。
管仲嘗て歎じて曰く、
吾れわかくして窮困せしとき、嘗て鮑叔とし、財を分つに多く自ら与ふ。
鮑叔、我を以てたんと為さず、我が貧しきを知ればなり。
吾れ嘗て鮑叔が為に事を謀りて大いに窮困す。
鮑叔、我を以て愚と為さず、時に利と不利と有るを知ればなり。
吾れ嘗て三たび仕へ、三たび君に遂はる。
鮑叔、我を以て不肖と為さず、我が時に遭はざるを知ればなり。
吾嘗て三たび戦ひて三たびにぐる。
鮑叔、我を以て怯と為さず、我に老母有るを知ればなり。
公子糾敗れ、召忽之に死し、吾は幽囚せられ辱を受く。
鮑叔、我を以て恥無しと為す、我の小節に羞じずして、名の天下に顕れざるを恥ずと知ればなり。
我を生む者は父母なり、我を知る者は鮑叔なり、と。
此れを世に称す、管鮑の善交、小白の善く能を用うる者なりと。

現代語訳・抄訳

管仲と鮑叔の二人は相許した親友であった。
共に斉の国に仕え、管仲は公子糾の守り役を、鮑叔は公子小白の守り役を務めていた。
当時、君主であった僖公は甥の公孫無知を嫡子の襄公と同等に扱っていたので人々は国が乱れることを案じていた。
やがて僖公が亡くなって襄公が即位すると、襄公は気に入らない者を次々と殺して斉国内は混乱した。
襄公の弟であった公子糾と公子小白は災いが及ぶことを恐れ、公子糾は管仲と召忽に伴われて魯の国へ、公子小白は鮑叔に伴われて莒の国へと亡命した。
しばらくして公孫無知が反乱を起こして襄公を暗殺したが、すぐに公孫無知も暗殺されたので、斉には君主が不在となった。
そこで亡命していた二公子は斉への帰還を争った。
管仲は莒の道を遮って小白を射殺せんと試みたが、放たれた矢は帯鉤に当って小白は生き延び、小白はそのまま一足先に斉へ到着した。
斉の王位についた小白は桓公と称し、魯を脅して子糾を殺すと、召忽は之に殉じて死し、管仲は囚われの身となった。
鮑叔が桓公に曰く、
管仲の能力は国を治めるのに足ります。
大いに用いるべきでしょう、と。
これに対して桓公が曰く、
我は管仲のせいであと少しで死ぬところであった。
死を与えて恨みを晴らしたい、と。
鮑叔が答えて曰く、
私はこのように聞いております。
賢君は私怨無く、主の為に尽す人は、又、人の為にも尽すものであると。
君が天下に覇を唱えんと欲するならば、管仲の力が必要となります。
そのような私事は寛大に処置すべきです、と。
桓公は遂に管仲を召し、魯は管仲を斉に還し、鮑叔は管仲を郊外に出迎えてその禁縛を解いた。
管仲は礼遇されて当時の国老であった高氏と国氏の上位となり、鮑叔は管仲に従い、桓公は政治を管仲に委託した。
管仲は仲父と号し、桓公は遂に諸侯を九合して覇を唱えるに至った。
管仲が嘗て慨嘆して曰く、
私が若くて困窮していた頃、鮑叔と共に商売をしたことがあって、利益を分配するときに私は勝手に多く取ったが、鮑叔は私を貪欲であるとはしなかった。
それは私が貧乏で金が多くいることを知っていたからである。
私は嘗て鮑叔の為にある計画を実行して、大いに失敗してしまったが、鮑叔は私を愚であるとはしなかった。
それは時に利と不利とがあり、如何ともし難い場合もあることを知っていたからである。
私は嘗て三たび君に仕え、三たびとも追放されたことがあるが、鮑叔は私を不肖であるとはしなかった。
それは私の才略を理解し、ただ時宜に遭わぬだけであることを知っていたからである。
私は嘗て三たび戦い、三たびとも逃げたが、鮑叔は私を臆病であるとはしなかった。
それは私に老母が居り、死ねば孝行を尽すことが出来ぬことを知っていたからである。
公子糾が敗れた時、召忽は死に殉じたにも関わらず、私は幽囚せられて辱を受けた。
それでも鮑叔は私を恥を知らぬ人とはしなかった。
それは私が小節を為さぬことを恥とはせず、ただ、天下に名の顕れぬことを恥とすることを知っていたからである。
私を生んだものは父母である、私を真に知るものは鮑叔である、と。
此れを世は「管鮑は善く交わり、桓公は善く賢能を用いた」と称賛したという。

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語句解説

管仲(かんちゅう)
管仲。春秋時代の宰相。斉の桓公に仕えてその隆盛を担った。桓公は管仲を称えて「一にも仲父、二にも仲父」と言ったという。
鮑叔(ほうしゅく)
鮑叔。春秋時代の斉の大夫。桓公に管仲を推薦して斉興隆のきっかけをつくる。管仲に「私を生んだのは父母である。私を知るは鮑叔である」と言わしめた。管仲との友情は世に管鮑の交わりとして有名。
召忽(しょうこつ)
召忽。斉の大夫。管仲と共に公子糾の守り役を務めた。万兵を率いる武勇に優れた武将であったとされる。
帯鉤(たいこう)
帯を締める金具。
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