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韓非

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韓非子-解老[2]

無為無思の虚たるを貴ぶ所以の者は、其の意に制する所の無きを謂ふなり。
夫の無術なる者は、ことさらに無為無思を以て虚と為すなり。
夫れ故に無為無思を虚と為す者は、其の意に常に虚を忘れず、是れ虚たるに制せらるるなり。
虚は、其の意に制せらるる無き所を謂ふなり。
今の虚たるに制せらるるは、是れ虚ならざるなり。
虚は之れ無為なり、無為を以て有常うじょうと為さず、無為を以て有常と為さざれば則ち虚、虚なれば則ち徳は盛、徳の盛んなるを之れ上徳と謂ふ。
故に曰く、上徳は無為にして為さざる無きなりと。

現代語訳・抄訳

無為無思とは虚であり、これを貴ぶ所以は意に何ら拘泥するところ無くして己のままである様をいう。
道を知らざる者は、ことさらに無為無思に心を奪われて虚であると呼ぶが、これは意に虚たるを忘れぬことに拘泥しているが故に、逆に虚に意が制せられているのである。
真に虚たれば、そのように意が制せられるものではない。
虚という観念に制せられてこれを虚と呼ぶも、それは決して虚ではないのである。
虚は無為であり、無為を無為として常に有る無きが如く、故に拘泥せずして真に虚なるに至り、無為なるが故に徳は己に渾然と統一され自然のままに生ずるようになる。
この自然として発揚せし徳を上徳と謂う。
故に老子は、上徳は無為にして為さざる無きなりと云うのである。

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