韓非
韓非子-五蠹[1.1]
上古の世、人民少くして禽獣
民、
中古の世、天下大水、而して
近古の世、
今、夏后氏の世に木を
殷周の世に
然らば則ち今、
是れ以て聖人は修古を期せず、常行を法とせず、世の事を論ず、因りて之が備を為す。
現代語訳・抄訳
上古の世、人民は少なく禽獣は多く、故に人々は禽獣虫蛇に悩まされた。
そこに聖人が現れ、木の上に住居を造り、禽獣虫蛇の害を避けることを教え、故に人々はこれを悦びて称え、王とし、有巣氏と呼んだ。
また、人々は草木の実や貝類を食したが、胃腸を害すること甚だしく、故に疾病に悩まされた。
そこに聖人が現れ、火打ちをきって火をおこし焼くことを教え、故に人々はこれを悦びて称え、王とし、
中古の世には天下は洪水に悩まされたが、
もし、禹の時代に木の上に住居を造り、火打ちをきって火をおこす者が居れば、
然らば今、堯舜湯武禹の事業を現代にもよしとする者が居れば、これもまた後世の聖人に笑われることになろう。
この故に、聖人は上古を期せず、旧習に固執せず、今の時代そのままを論じ、日々新たにして備えとするのである。
- 出典・参考・引用
- 久保天随著「韓非子新釈」巻4,79-81/139
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語句解説
- 蟲蛇(ちゅうだ)
- 蛇と虫。なお、蟲は小さな虫の集まる形、虫は蛇の形を描いたもので本来は別。故に虫蛇だと蛇の意。
- 有巣氏(ゆうそうし)
- 有巣氏。中国古代の伝説上の聖人。鳥が巣を営むをみて木の上に住居を造り、獣類の危害を避けることを人々に教えたという。
- 果蓏(から)
- 草木の実。
- 蚌蛤(ほうこう)
- はまぐり、どぶがい。
- 腥臊(せいそう)
- なまぐさいこと。けがらわしいこと。
- 燧(すい)
- 火を得るために用いる道具。火打ち。石燧で火打ち石の意になる。
- 燧人氏(すいじんし)
- 燧人氏。古代の伝説上の王。人々に火をおこすことや食物を煮ることを教えたという。
- 鯀(こん)
- 鯀。堯の時代に黄河の氾濫を治めるための治水事業に携るも失敗。やがてその子である禹が継いで成功させる。
- 禹(う)
- 禹。夏王朝の始祖で伝説の聖王。父の業を継いで黄河の治水にあたり、十三年間家の前を通っても入らなかった。後、舜に禅譲されて王となる。
- 瀆(とく)
- みぞ。かわ。水の流れ、大川。江・河・淮・済を合わせて四瀆という。のち、「けがれる」「みごる」「みだれる」「やぶれる」の意を有す。
- 桀(けつ)
- 桀。夏の十七代目の王。暴君の代表。殷の湯王によって滅ぼされた。
- 紂王(ちゅうおう)
- 紂王。殷の三十代皇帝で暴君の代表。帝辛。材力人に過ぎ勇猛であったが無道にしてその治世は乱れ、周の武王によって滅ぼされた。
- 湯王(とうおう)
- 湯王。天乙。成湯。殷王朝の始祖。賢臣伊尹を擁して夏の桀を倒した。後世に聖王として称賛される。
- 武王(ぶおう)
- 武王。周王朝の始祖。太公望を擁して殷討伐を成し遂げた。
- 夏后(かこう)
- 夏王朝のこと。始祖の禹が帝舜より帝位を譲られ夏后と称したことによる。
- 堯(ぎょう)
- 堯。尭。古代の伝説的な王。徳によって世を治め、人々はその恩恵を知らぬまに享受したという。舜と共に聖王の代表。
- 舜(しゅん)
- 舜。虞舜。伝説上の聖王。その孝敬より推挙され、やがて尭に帝位を禅譲されて世を治めた。後に帝位を禹に禅譲。
- 修古(しゅうこ)
- 上古と同意。大昔。また、古を修める意の場合もある。
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