戴聖
礼記-大学[2]
古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先ず其の国を治む。
其の国を治めんと欲する者は、先ず其の家を
其の家を斉えんと欲する者は、先ず其の身を修む。
其の身を修めんと欲する者は、先ず其の心を正す。
其の心を正さんと欲する者は、先ず其の意を誠にす。
其の意を誠にせんと欲する者は、先ず其の知を致す、知を致すは物を
物格して
天子より以て庶人に至るまで、
其の本乱れて末治まる者は
此れを本と知ると謂ひ、此れを知の至りと謂ふ。
現代語訳・抄訳
古代において明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先ず己が在りし国を治めんとし、その国を治めんとすれば、先ず己の家を和し、家を和せんと欲すれば、先ず自らを省みて身を修め、身を修めんとすれば、先ず自らの心を正し、自らの心を正さんと欲すれば、己の意の動きを常に誠ならんとし、意を誠ならんと欲すれば、常に致良知を心掛けた。
ここで良知を致すとは事々において格物致知をすることである。
人は事々に格物致知を為すことによって良知が遮られることなく発揮されるようになり、致良知なれば意は自然と誠になり、意が誠であれば心は正しく、心が正なれば修身が成り、身が修まれば己の人格によりて導くが故にその家は和し、家が和してこそ国もまた治まり、己の国をよく治めて始めて天下普く安んずるに至る。
天子であろうが庶民であろうが、唯だ修身を心掛けることが根本なのである。
己自身を忘却して他を治めんと欲しても治まることはなく、厚くすべきところを薄くして、薄くすべきところを厚くする、このような矛盾を為して天下を安んぜしは未だかつてないのである。
これを本を知ると謂い、これを知の至りと謂う。
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