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貝原益軒

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養生訓-巻第六[択医][2]

医は仁術なり。
仁愛の心を本とし、人を救ふを以て志とすべし。
我が身の利養をもっぱらに志すべからず。
天地のうみそだて給へる人をすくひたすけ、萬民の生死をつかさどる術なれば、医を民の司命しめいと云ふ。
きはめて大事の職分なり。
他術は、つたなしといへども、人の生命には害なし。
医術の良拙は、人の命の生死にかかれり。
人を助くる術を以て、人をそこなふべからず。
学問にさとき才性ある人をえらびて、医とすべし。
医を学ぶ者、もし、生まれつき鈍にして、其の才なくんば、みづからしりて、早くやめて、医となるべからず。
不才なれば、医道に通ぜずして、天のあはれみ給ふ人をおほくあやまりそこなふ事、つみふかし。
天道おそるべし。
天道にそむき、人をそこなふのみならず、我が身の福なく人にいやしめらる。
其の術にくらくして知らざれば、いつはりをいひ、みづからわが術をてらひ、他術をそしり、人のあはれみをもとめへつらへるは、いやしむべし。
医は三世をよしとする事、礼記に見えたり。
医の子孫相続きて、其の才を生まれつきたらば、世々家業をつぎたるがよかるべし。
此の如くなるはまれなり。
三世とは、父子孫にかかはらず、師弟子相伝へて三世なれば、其の業くはし。
此の説、然るべし。
もし、其の才なくば、医の子なりとも、医とすべからず。
他の業を習はしむべし。
不得手なるわざを以て、家業とすべからず。

現代語訳・抄訳

医は仁術である。
その根本にはあらゆるものを慈しむ心を抱き、人を救わんとする志を存するべきである。
自分の利得にばかり心を傾けてはいけない。
人は天地万物によって育つ。
それを救い助け、その生死を左右する術であるからこそ、医を民の司命というのである。
医とはなんとも偉大なる職分である。
他の職分であれば術に通じぬとしても、人の生命にはさほど害はない。
だが、医術の良拙は、即、人の生命に関わるものである。
人を助ける為の術であるのに、それによって人の命を奪っては元も子もない。
だから学問に聡明なる者を選んで医とするべきである。
医を学ばんとして、もしも、生まれつき鈍にして才がないとしたら、自ら悟って早くやめ、医を目指すのをあきらめるべきである。
不才であるならば、医道に通じることができずに、天が生み育てたる人々を損なうことになるのであって、これほど罪深いことがあろうか。
天道は尊重せねばならぬ。
天道に背き人を損なうことは、自分自身のためにもならない。
その術に暗ければ、偽りに走っていかにもよくできるかのように見せかけ、他を謗りながら人に阿諛迎合するような卑しむべきものとなろう。
医は三世を良しとする記述が礼記にある。
子孫に医の才を備えた者が生まれたのならば、代々家業として継いでゆくのがよい。
だが、此れは稀なことである。
三世とは、父子孫だけとは限らず、師弟の間柄でも良い。
三世相伝えてゆければ、大いなる発展があるであろう。
此の説は最もなことである。
もし、医の才がないのであれば、医の子であったとしても医とすべきではない。
他の業を修得するべきである。
わざわざ不得手なる業を、家業とすることはないではないか。

出典・参考・引用
貝原益軒著・大町桂月校「益軒十訓」第3冊下64-65/165
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語句解説

司命(しめい)
生殺の権力を握るもの。人の寿命をつかさどる神の名。
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