安岡正篤を座右の書に
王陽明 知識偏重を拒絶した人生と学問
出版社: PHP研究所 (2006/01)
本書は王陽明の一生を、様々なエピソード、具体例を挙げて解きほぐす講和集である。
王陽明の事蹟が興味深く平易に描かれ、尚且つ、その人物の躍動する様が素晴らしい。
陽明学は心学である。
心学とは、結果の如何を問わない、などという浅薄な学問ではない。
また、心を放逸し、世間の礼儀作法を無視して、人が衝撃を受けるような型を破りの言論や行動をするものでもない。
このようなものは誤解にあらずんば浅解であるとして安岡正篤氏は云う。
本当は、いわゆる「平常心これ道」であり、最も平常の精神でなければならん。
したがって、陽明学にしても禅にしても、尋常、常を尋ねる工夫、これに徹する、尋常の覚悟、これが一番の本質・本義なのであります、と。
真の心学とは、真の心に尋ねゆき、そして自らをその心に従って正すことなのである。
自らが自らの本来の心、全てに通ずる良知へと至り、そしてそれを致すことなのである。
常を尋ねるとは、そこに安んずることであり、安んずるとは単に止まることではなく、無の境地、寂然として動かざる者へと至ることにある。
これは王陽明が提唱する「事上にあって磨練し功夫をなす」ことであって、何か特別なる功夫を要すものではない。
只々、己の心を一にするのみである。
王陽明も自らの信念を大悟するに至るまで、様々なものに耽溺したという。
若くして騎射、詩歌風流に耽溺し、最も溌剌たる30歳前半に病となった折には、老荘道家、そして仏説に耽溺した。
この耽溺を安岡正篤氏は次のように述べている。
この耽溺の果てに、つまりは覇気と情緒と解脱の満足を外に求めた果てに、ようやく本来の自己に返り、「古の学者は己を
昔から改革者、革命家、あるいは宗教家、信仰家で、しばしば隠遁をしたり、あるいは現実に携わっておっても壺中の天に遊ぶ、つまり世の中と離れた自己の内面の世界に遊ぶとなるのは自然の筋道であります。
学問と人生のデリケートなことです。
こういう一種の深遠な否定を通って、初めて現実の確かな建設に進むことができる。
陽明先生の「五溺」はその意味でも非常に有益なものであった。
それを通じて彼が到達した境地は容易ならぬ貴いものであり、権威あるものであったことが認識されるのであります。
やはり陽明先生は偉人であると心から認識される。
それとともに、学問修養、教養とは深遠にして偉大なものだということもしみじみと味わうことができます、と。
王陽明もその他大勢の人々と同じように、自己は如何にあるべきか、どうすれば自らの信念を確立することができるのかと悩み、錯誤した。
だが、王陽明がその他大勢と異なったことは、自らの人生に悩みながらも、そこから逃げることなく受けとめて自らの内に抱懐したことにある。
その苦悩の果てに、遂に本当の自分を作るということの意義を見出したのである。
王陽明は、佞臣を弾劾し諫言したことで竜場という地に流謫されたが、その竜場の地の荒涼たる山間において、もっぱら認識と自覚を徹底し、格物致知に取り組んだという。
そして彼は遂に至った。
真理というものは外に在るものではなく、我に内在するものなのであり、それこそが良知なのだと。
我をおいていたずらに理を事物に求めることは誤りであるのだと。
いわゆる竜場の徹悟である。
安岡正篤氏は云う。
人間はいかなる不遇にあっても、いわゆる「随処に主と
王陽明は根本義においてここに初めて人間の生に達したものであり、このような体験は知性のとうてい及ぶべくもない。
全生命を懸けて初めて得ることのできるものである、と。
王陽明はこの悟りより始めて「知行合一」を説き、その竜場より発した教化の波は普く周囲へと広がっていった。
この竜場への流謫は、その事実だけをみれば苦難ではあるが、王陽明の一生にとっては大きな意義があったのである。
やがて中央へと戻された王陽明は、竜場で得た信念を以て事にあたり、多くの人々を惹きつけ、そして世に多大なる影響を与えたという。
本書にも様々な弟子とのやり取り、匪賊平定の様子が描かれているが、その情景たるやなんとも心地よいものである。
王陽明はその弟子に云う。
山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し。
もし、各々が自己の心に潜む賊を掃蕩したとすれば、それこそが不世出の偉績である、と。
この言一つ見ても、王陽明の功利に惑わされず己を徹見する様がよくわかるのである。
王陽明は匪賊平定の軍を率いる中にあっても、常に子弟と講学を欠かさず、その戦報に周囲が動じても彼一人は何ら動じることなく平然として講義を継続したという。
安岡正篤氏はこれを次のように語る。
事実こういうことはなかなかできないものです。
しかし、こうなると、いかに周囲の者の人心が動揺しておっても自然に治まる。
こういうところが、陽明先生の陽明先生たる所以であり、陽明学の真骨頂の一情景である、と。
彼は匪賊平定に多大な功があったが、功利的な面からゆけば少しも賞されることはなかった。
それでも、灑落として何ら拘泥することなく、やはり常と同じように子弟を教導し、自己を練磨し培った。
その講義は伸び伸びとして形にはまらず、その行くところ、講義するところ、人々は四方より来集して常に一杯であったという。
王陽明は講義に来た者達との別れに歎じてこう云った。
君等別ると雖も、天地の間に在るを出でず。
苟もこの志を同じうせば、吾亦た以て
真実の意味で学ぶのであれば、形などは何ら存在はしない。
表面的なものなどは忘れるべきであって、陸子、朱子、儒学、禅、何であっても、その根本義が真ならば、ひとつに拘泥すべきではないのである。
どのような道から入ろうとも、必ずや自らに抱懐し、常に自分なりの姿で、自分なりの道にまで高めて歩めばよいのである。
今、王陽明の形骸は朽ち果て、既に我々と共に天地の間に在りはしない。
だが、自己を徹見し、自己を尽して聖賢へと至るその志さえ存するのならば、その魂の発露は、未だに現世に生きる我々と共にあるのであろう。
これこそが真に偉大なる事蹟であり、その人物に敬慕を禁じ得ない所以なのである。
王陽明は云う。
我がこの良知の二字は実に千古聖々相伝の一点滴骨血なり、と。
王陽明の提唱した学もまた、遥か古代より幾多の聖賢が志した大道へと至る、一つの道なのである。
- 関連タグ
- 安岡正篤
<< 前のページ | ランダム | 次のページ >> | |