安岡正篤を座右の書に
運命を創る
出版社:プレジデント社 (1985/11)
私が安岡正篤氏の本を読み始めるきっかけとなった一冊。
講演の口述記録なので読み易い。
安岡正篤氏は退廃する日本を憂え、そして人のあり方を説く。
人に備わるものとして、本質的要素である徳性とそれに準ずる習性、いわゆる躾の存在と、付属的要素である知性、いわゆる知識や技能の存在を挙げ、明治以来の日本は人間教育をおろそかにしており、もっぱら功利的・知識的な機械的人物、才人、理論家ばかりが生まれたとして次のように論じる。
人間教育もとんだ間違いをしていて、学校に預けさえすればいいと思っている。
だが、やはり根本は家庭教育であり、その家庭教育の基本は愛と敬である。
愛ばかり強調されることが多いが、実際は愛だけでは育たない。
人間の人間たる所以は愛と同時に敬というものの存在である。
敬という心によって、人は初めて進歩向上するのである。
そして人間は恥を知らなくてはいけない。
恥を知らなくなったら人間はどうなってしまうか分からない。
呉子にはこうある。
「義を以てして恥あらしむるなり」と。
また、武士道の根底も「恥を知る」なのである。
更には人の本質的要素とした徳性へと話は及ぶ。
近来、学校の学問では知識は教えるが見識を養う教師が少ない。
大体、大学の秀才などは人間の修養をしていないから、知識は持っていてもそれは雑識でしかない。
修養によって知識も見識となり、その人独特の存在が意義づけられてくる。
常に倦まずたゆまざるところの探求的精神態度を持して努力しなければならない。
そのようにして人生百般、すべてが活きたものとなる。
もしも、地位だの身分だの、親子だの妻子だのというものを引いてしまうと何が残るだろうか。
何も残らんということではいけない。
一切を剥奪されても、奪うべからざる永遠なものが何かあるという人間にならなければいけない。
根本精神から生まれ出る識見、器量、信念、徳望こそが大事なのである。
心に一処に対すれば、事として通ぜざるなし。
自己の心を尽くすことであらゆる事物は自己と一となる。
こうしてあらゆる事象が解決してゆく。
知識云々ではないのである。
安岡正篤氏は云う。
真の教養は偉大な著作に親しむことによって得るものです。
これは専門の知識・技術の書物を調べることとは別であります。
専門の内、外を超越した、人間としての修養の書であって、自分の好きな本当に自分に響くような書物であれば何でも結構あります。
別に学者になられる訳でもないのでありますから、博学多識の必要はありません。
常にそういった書物を一種類か二種類だけでも見ておられたら十分であります。
何よりも絶えずこれを心掛けることが自らの人格を高め、それのみならず、知らず知らずのうちに周りにまで影響を与えもするものなのです。
なぜ、偉大な著作なのか。
そこに描かれる人物・言行は、やはり敬するに足るほど魅力的なのである。
目標とするに値する姿がそこにはある。
そして修養の要諦を次のように説く。
心を養うには無欲がよい。
無欲は何も欲しないということではない。
何も欲しないなら死んでしまうのが一番てっとり早い。
無欲とは我々の精神が向上の一路を精進する純一無雑の状態であって、つまらぬことに気を散らさぬことである。
精神は常に発刺として躍動していなければならない。
それは感激性であり、人は常に、向上の大事に感激性をもたなければならない。
これを無心無欲という。
それには常に心のどこかに喜びをもち、感謝をもち、そして陰徳を志す。
「施して報いを願わず受けて恩を忘れず」である。
人に謗られれば感情を害す、これは人情である。
だが、それさえも虚心坦懐に接して自らに抱懐できてこそ人物である。
安岡正篤氏が自らを述懐した言葉が何とも感慨深い。
暁は「さとる」とも訓ずる、悟るというのは心の闇が白んでくることだが、これに暁という字を充てた。
何とも好い字である。
何だか私もこの年になってようやく物がわかってきたような気がする。
やっと人生の暁に達したのかな、と。
すると、ふと、気が付くことがある。
了という字も「さとる」と読む。
そして了はさとるのほかにまた、終わる、である。
人間がどうやら、成程と悟る頃には人生が了る、そういうふうに人生はできている。
そろそろ俺にも終が来たかと思う、それならばもう少し迷った方がよさそうである、と苦笑いをしたことでありますが、
とにかく学ばぬといかん、ということだけは確かであります。
人生はおもしろい。
悟る頃には人生が終わる。
人生の妙である。
だからこそ、学ばぬといかん、なのである。
堅苦しい教訓などではなく、しみじみと純粋に「学ばぬといかん」と思うのである。
「窮すれば通ず」の理で、精神さえしっかりすれば、必ず運命は開けるのです。
できるだけ多くの者が一燈照隅を万燈照国にしていけば、日本もなんとかならぬものでないと信じます。
人はいかに生きるべきか。
けっして教訓じみた言葉ではなく、心底、自ずから湧き出る思いを蕩々と語る。
大いに惹きつけられる一冊である。
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